つれたか丸さんのブログの記事で四阪島の煙突が解体されていることを知りました。
「近代化象徴」ともいえる煙突でした。
廃墟マニアの間では割りと有名な島ですね。


写真は解体前です。
行政的には今治市となってる四阪島。
産業的にも社会的にも同県新居浜市と深いつながりがあります。
新居浜市の山中に、日本四大銅山の一つといわれた別子銅山が開抗したのは、1691年(元禄4年)。
(関連記事「東洋のマチュピチュ / 愛媛県新居浜市別子銅山東平地区」) 銅を精錬する際に、有害な亜硫酸ガスが発生します。
それは人体や環境に深刻な被害をあたえるため、精錬所は山から海岸へ、そして無人島へ。
明治38年、住友が四阪島を買いとり、そこに精錬所が移されました。
無人島だった四阪島は、これを契機に大きく発展を始めます。
島を埋め立て社宅を作り、学校が建ち、商店街ができ、 海底ケーブルが通り電気も通りました。
最盛期の大正時代には、人口は5,500人を越え、日本一の銅精錬所となりました。
ですが、精錬所を四阪島に移設したことは、その煙害がかえって広範囲にひろがるという皮肉な結果を招いてしまいます。
住友はその煙害の克服に向けて多額の費用をかけ、研究を重ねてゆきます。
数々の試みを繰り返し、大煙突から吐き出される硫酸ガスが止まったのは、四阪島を開島してから40年も経った、昭和14年のことでした。
現在の人口はゼロ。
現在、島は住友金属鉱山の工場があり、全島同社の所有(管理下)となっています。
従業員は会社所有の定期船で通っています。
島の近隣は良い漁場となっており、釣り客が渡船で上陸することもあるそうです。
四阪島への無許可での上陸は禁止されていますが、会社側が黙認しているのが実情のようです。
良い漁場ということで、釣り人には有名で、目印にも最適だった島の煙突。
釣り船ももっていることから、つれたか丸さんはよくこのあたりに行ってたのでしょう。
記事を見る限り、上陸はされていないようですが・・・
木立に囲まれた島の中には今でも、階段状の社宅跡、商店街、 病院、学校、神社・寺院、娯楽施設などが、ある日を境に時間を止めたままのかたちで残っているそうです。
機会があれば、近くまで、つれたか丸さんに連れてってもらって、近くから双眼鏡で、これらを見てみたいです。
大きな地図で見る
大煙突
本日も 四坂島に出撃してましたよ。
煙突 半分の長さになってました。解体しだしたら早いです。
今日の煙突の様子 私のブログにアップしてますので またよかったら覗いて下さいましな(^^)
それから 時間見つけて島見学ツアーやりましょう 案内しますよ ちょいと位なら上陸出来ますし(^^; 中々興味深い島ですよ。
【2013/06/16 22:59】
URL | つれたか丸 #- [
編集 ]
>つれたか丸さん
写メ見ました・・・・残念です・・・・
島の廃墟、是非見学してみたい・・・・
【2013/06/17 01:50】
URL | マスター #- [
編集 ]
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