「
小野小町見返りの井戸」の項で、
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嵯峨天皇の頃小野備中守常澄という人がこの国の守護であった。
その娘の小町は采女となって宮仕えしていたが、たまたま瘡を患当地の日間薬師に病気平癒の願をたてた。
この間小町はこの井戸を鏡として自分の顔を写していた。
満願の日日間薬師のお告げによって病気は全快した。
その後小町は黒田村に帰り小庵をたててここに住み尼となって、この地に一生を終えたという。
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ここで出てくる「黒田村」。
こちらに「小野小町の墓」があるということなので早速行ってきました。
「総社市清音黒田」という地域がそうです。
クリックで大きく見れます。

県道24号線を北上、以前紹介した「
青江神社」を少し北に上がり、新幹線の高架を潜ったあたりに、東に伯備線の高架があります。
この高架を潜った地域が「清音黒田」なのですが、変わっているのは、この黒田地区、他の清音の集落へ繋がっていません。
このトンネルのような高架が黒田地区への唯一の出入り口。
そこを潜り、南側の道を上がっていくと、




この拝堂の裏を見ると・・・

五輪塔(供養塔)。
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写真の標識には「小野小町の墓」となってますが、ブログタイトルを「小野小町の墓塔」としたのは、本当(?)のお墓は、山の中にあります。
五輪塔のある山とは反対の山。
村を流れる谷を上がっていくという情報だけを頼りに、何度か挑戦して山に入りましたが見つかりませんでした。
かなり険しい道程の為に供養塔が下に作られたと思われます。
地元の人に訊いても、簡単には行けないとのことでした。



途中で引き返しました。
かなりの時間、山の奥まで行ったのですが、そう簡単には見つからなかった・・・
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以前(昭和59年頃)黒田地区のある民家の蔵から、小野家の家系図が見つかりました。
このことが新聞記事として掲載され(ここの小野小町は本物だ)と話題になりました。
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日本全国に伝わる「小野小町伝説」。
「我が町の小町の墓こそ本物」というハデな宣伝の多い中、岡山の「小町伝説」は地元の人も知らないぐらい。
ムキになって「知っている」という地元の人間でさえ、五輪塔の場所も見返りの井戸の場所も知らなければ見たこともない次第。
人手に触れないよう山奥にあるお墓、この黒田地区自体、目立つことを逃れるように隔離された感じがある。
自分が住んでいるからといって手前味噌ではないが、なかなか信憑性が高い。
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普通これだけのものがあれば、もっと全国的にアピールしたり、顔出して写真を撮る十二単の看板ぐらいあるだろう。
実際、他県の墓はそういうアピールしています。
信じるか信じないかはあなた次第。
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