倉敷の地元の人なら誰でも知っている「小町トンネル」。
クリックで大きく見れます。

しかし、「名前の由来」を訊いても、ひょっとしてとは思うものの、確信が無いため、さすがに「小野小町」という名前は地元の人でも出てきません。
実は、このトンネルの上は山になっていて「小野小町姿見の井戸」があり、そこからトンネルの名前が付いたのです。
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「はなのいろは うつりにけりな いたつらに わかみよにふる なかめせしまに」
小野小町といえば、平安時代前期(9世紀中ごろ)の女流歌人で古今まれといわれる美貌と才知の人というのが一般的で、古くから美人の代名詞となっています。
クレオパトラ、楊貴妃と並ぶ美女として有名ですね。
この小町に関する伝記などは全く無くて、どういう家系の出なのかなどはもちろんのこと、生没年も推測の域を出ていません。
しかし、彼女の出生地や死没地あるいは墓所とされる所は全国各地に数多くあります。
小野小町伝説は無数といってよいほど語られています。
この小町の伝説地が岡山県内にもあることをご存知でしょうか・・・・・・・
ということで、
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「小野小町姿見の井戸」
上から。




かなり透明度は高い。
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井戸傍らの説明によると、
嵯峨天皇の頃小野備中守常澄という人がこの国の守護であった。
その娘の小町は采女となって宮仕えしていたが、たまたま瘡を患当地の日間薬師に病気平癒の願をたてた。
この間小町はこの井戸を鏡として自分の顔を写していた。
満願の日日間薬師のお告げによって病気は全快した。
その後小町は黒田村に帰り小庵をたててここに住み尼となって、この地に一生を終えたという。
ということです。
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下の法輪寺側からの上り口。
そのほかの写真。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.489434434400862.119763.100000029284648&type=3&l=aa5a766f19小町探訪はつづく・・・・・
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