
オールドパー12年と昭和初期のオールドパー(左)
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先日、ロイヤル・ウエディングを観ていて、ウエストミンスター寺院にまつわるお酒を思い出したので・・
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明治の初期、岩倉具視が特命全権大使として欧米視察のお土産に、西洋文化の代表として持ち帰ったのがオールドパー。
つまり、日本に初めて紹介されたブレンデッド・ウィスキー。
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長寿の効果をうたうため、152歳まで生きたといわれるトーマス・パー(Thomas Parr)という人物にその名の由来があります。
パーじいさんは、80歳になって結婚し一男一女を儲け、100歳前後のころに女性問題を起こし私生児を生ませたと言われています。
その後、最初の妻が死んで後、齢122歳の時に後添いを得たということです。
彼は1635年9月にはチャールズ1世に拝謁したが、同年11月に152歳で病没。
その死を悼んだ国王の手配で、ウエストミンスター寺院に葬られました。
旧ボトル(現在でも並行ものにはついています)にはチャールズ1世が画家のルーベンスに描かせたものを基にした肖像画が付いています。
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オールドパーの愛飲者で有名なのが吉田茂内閣総理大臣でした。
彼は気に行った人にだけ、オールドパーをふるまったと言います。
その中の一人に、田中角栄がいて、彼もまた、オールドパーを愛しました。
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田中角栄元首相の秘書だった佐藤昭子(2010年3月11日没)が、著書『私の田中角栄日記』(1994年12月、新潮社)に書いています。
佐藤昭子女史は、田中派の中堅・若手議員であった橋本龍太郎・小渕恵三・羽田孜・小沢一郎らにとっては政界における姉貴分であり、所属党派が分かれた後も揃って「ママ」と呼んで慕われていました。
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私の田中角栄日記
略
田中といえば決まってオールドパー、品のいい箱形のびんに入った高級スコッチウイスキーをなぜあれほど愛飲したのか長年の疑問だった。
その謎が解けた。
教えてくれたのは先輩記者のNである。
Nによると、田中が池田政権で蔵相をつとめていた63年夏ごろだ。
当時、政界の大御所だった吉田茂元首相に接触したいと思い、吉田の側近、佐藤栄作に仲介を頼む。
佐藤が、「ご引見を」というと、吉田は、「ああ、あの山猿か」と応諾した。
田中はさっそく神奈川県大磯の吉田邸に出掛け、贈り物には良寛の書を持参する。
皮肉屋の吉田がそれを見て言った。
「本物か」
「ええ、値段からみて……」
「本物でもおまえが持てば偽物になる。偽物でもおれが持てば本物になるんだよ」と人を食ったことを言いながらご機嫌だった。
この時、「まあ、飲め」と吉田がすすめたのがオールドパー。
「白ひげのじいさんのラベルを張った洋酒を振る舞われた」と佐藤に報告すると、
「あれが出たのなら、おまえ、気に入られたのだ」と佐藤がもらした。
この話、Nは吉田に付き添っていた大使OBの秘書から聞いたという。
「角さんはそれ以来、一辺倒になったらしい。味もよかったのだろうが、仰ぎ見る吉田大長老にあやかりたい気持ちもあったのではないか」とNの見方である。
後略
昔、「越山会の女王」といわれた左藤昭子の田中角栄の秘書として過ごした当時の日記を中心に書き上げたもの。
まさに田中角栄の側近中の側近でかつ、田中角栄と私生活も共にしていた(一女あり。田中の子と云われているが、認知はされていない)人間から見た、角栄の一面が見られます。
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岩倉具視、吉田茂、田中角栄などの名前が出てくる日本にとってもロマンを感じるお酒です。
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当店秘蔵の昭和初期のオールドパー。

ボトルの栓はワイヤーで固く閉じられ蝋で固められています。
未開封ということ。
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オールド・パーは現在、レギュラーの「12年」と高級な「スーペリア」があります。
おお、日本の偉人の名前がたくさん。
こういう話はわくわくしますな。
【2011/04/30 22:08】
URL | いずき #0TN6pzxw [
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おはようございます、いずきさん。
とても美味しいウイスキーです。
昔はとても高価で手が届かなかったウイスキー、機会があれば僕の奢り以外で呑んでみてくださいね。おとなの味がします・・
【2011/05/01 06:22】
URL | マスター #- [
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