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『CHEER DOWN』はジョージの曲名からです。エリック・クラプトンが音楽担当した映画『リーサルウェポン』シリーズ。そのシリーズの『リーサル・ウェポン2 炎の約束』のエンディング曲でもありました。91年のクラブトンとの来日コンサートでも元気に歌っていたのが今でも忘れられません。実は『CHEER DOWN』という英語は存在しません。ジョージの造語なんです。『がんばって!』と掛け声を掛ける時に『CHEER UP !』と言いますが、ジョージは『無理をしなくていいよ』という意味でこの言葉を作りました。

マスターの独り言

ここは小さなバー、CHEER DOWN。マスターの日記です。

オール・シングス・マスト・パス - All Things Must Pass - / ジョージ・ハリスン - George Harrison-

オール・シングス・マスト・パス


オール・シングス・マスト・パスオール・シングス・マスト・パス
(2000/04/26)
ジョージ・ハリスン

商品詳細を見る


Disc 1

1.アイド・ハヴ・ユー・エニータイム (George Harrison, Bob Dylan)
2.マイ・スウィート・ロード
3.ワー・ワー
4.イズント・イット・ア・ピティー (ヴァージョン1)
5.美しき人生
6.イフ・ノット・フォー・ユー (B. Dylan)
7.ビハインド・ザット・ロックト・ドア
8.レット・イット・ダウン
9.ラン・オブ・ザ・ミル

Disc 2
1.ビウェア・オブ・ダークネス
2.アップル・スクラッフス
3.サー・フランキー・クリスプのバラード (Let It Roll)
4.アウェイティング・オン・ユー・オール
5.オール・シングス・マスト・パス
6.アイ・ディッグ・ラヴ
7.アート・オブ・ダイイング
8.イズント・イット・ア・ピティー (ヴァージョン2)
9.ヒア・ミー・ロード

Disc 3(Apple Jam)
1.アウト・オブ・ザ・ブルー
2.ジョニーの誕生日 (Based upon "Congraturations" by Martin & Coulter)
3.プラグ・ミー・イン
4.アイ・リメンバー・ジープ
5.サンクス・フォー・ザ・ペッパロニ

オール・シングス・マスト・パス



現在「ニュー・センチュリー・エディション」になってますが、そちらの話はまた後日。

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1969年の12月2日から、デラニー&ボニーのツアーに参加。

この時、彼らのヒット曲「カミン・ホーム」でスライドギターを演奏するよう依頼される。

このツアー中にコペンハーゲンで滞在中に「マイ・スウィート・ロード」を書き始める。

15日にはユニセフのチャリティー・コンサート「ピース・フォー・クリスマス」でクラプトンとプラスティク・オノ・スーパーグループの一員としてステージに立つ。

・・・・・・・・・・・・・・・

1970年、ビートルズのメンバーはやる気を無くしており、棚上げになっていたアルバム「レット・イット・ビー」の、ビートルズとしては最後の録音曲、ジョージの「アイ・ミー・マイン」を録音。

フィル・スペクターのミキシングにも顔を出し、ビートルズの最後を看取ったのはジョージだった。

3月、ジョージはフライヤーパークに引っ越す。

4月10日、ポールが脱退を表明。

世間にビートルズ解散の事実が知れ渡ることとなる。

・・・・・・・・・・・・・・

ジャケットの庭の写真から、フライヤーパークのジョージの自宅で録音されたと勘違いされぎみだが、自宅に作るレコーディング・スタジオ「フライヤーパーク・スタジオ・ヘンリー・オン・テムズ」が完成するのは数年後。

アルバム「ダークホース」から、このスタジオが使われているのはファンなら周知だろうが。

エリック・クラプトン(他のドミノスのメンバーも)、クラウス・フォアマン、ビリー・プレストン、デイブ・メイスン、バッドフィンガー・・など、親しい友人たちがこぞって参加。

・・・・・・・・・・・・・・

ビートルズ時代に書きためた曲を多忙にレコーディングしている中、母親のルイーズが脳腫瘍で倒れる。

病院に掛った時はすでに手遅れだった。

しまいには、看病疲れで父ハロルドも倒れる。

時間を見つけては、リバプールの両親を見舞う日々の中レコーディングが進む。

7月7日、ジョージがはじめてギターを手にしたところから息子の音楽活動を全面的に応援していた母ルイーズが死亡。

ビートルズ・ファンの一人としてコンサートに何度も通い、ジョージへのファン・レターや質問の手紙にも、こまめに返事を書いてくれていたという。

・・・・・・・・・・・・・・

11月27日、アルバム「オール・シングス・マスト・パス」は発売と同時に、各方面から絶賛された。

12月26日、「マイ・スウィート・ロード」が全米一位になる。

12月31日、ポール、ビートルズの法的な解散を求めてジョン、ジョージ、リンゴを告訴。

・・・・・・・・・・・・・・

1971年1月2日「オール・シングス・マスト・パス」アメリカで一位に。

1月30日「オール・シングス・マスト・パス」イギリスで一位に。

「ビートルズ解散後、最初にヒットを飛ばすのはジョンかポールか?」

という世間の関心をダークホースのジョージが見事にぶっちぎりの一位で見返した。

アルバムはイギリスで8週、アメリカで7週一位。

シングル「マイ・スウィート・ロード」はイギリスで7週、アメリカで4週一位だった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

発売当時、ジョージの不在時、ジョージの自宅を訪れたジョンが、ジョージ宅に住んでいた共通の友人に残したメッセージが、

「アイツは頭がどうかしちまったんじゃないのか?(一度に)3枚もレコードを出すなんて。それにこの写真、まるで喘息に苦しむリオン・ラッセルじゃないか」

これを聴いてジョージは、

「いかにもジョンらしいだろ?」

と、アメリカの雑誌「クロウダディー」のインタビューで、永遠の兄貴分の強烈な個性をさらりと一言で紹介している。

毎日ラジオから流れる「オー・マイ・ロード、マイ・スウィート・ロード」のコーラスに、ジョンは、

「(ラジオの)スイッチを入れたら必ずと言っていいほどジョージの曲だ」

と、ため息まじりに騙ったという。


・・・・・・・・・・・・・・

7月5日、「サムシング」が前年1970年度アイバー・ノベロ賞を受賞となる。

翌年1971年度に「マイ・スウィート・ロード」が同賞を獲得する。

まだ「盗作問題」も大きくならず、二枚目のシングル「美しき人生」もチャートを登り始めたころである。

最愛の母の死を乗り越え、ジョージが音楽面でビートルズの誰よりも輝いていた瞬間の作品。

本作発表時の大体のバイオグラフィーです。

間違いがあったらご指摘を。

複数の断片的な資料を繋いで書いているので・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

本作は三枚組ということもあり、その昔、欲しくてもなかなか買えなかったアルバムです。

が、やっと入手して針を落とし、その完成度の高さにビックリしたのを覚えています。

「なんでビートルズはジョージにアルバムの中で2曲までしか歌わせなかったんだ?」

と思いました。

当時、既に後追いで購入でしたので、その後のジョージの苦悩もしっていたので、こんなことも思いました。

「この3枚組を小分けで発表すれば低迷期は無かったのに・・」

と、

「心の安らぎを得るためにやっていくだけ」

というジョージの発言は、先のジョンの酷評を聴いて「いかにもジョンらしいだろ?」という言葉の後に続いて出た言葉です。

当時、後先考えず、こうせずにはおれなかったのでしょう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

このころ、ジョンやポールが女々しくビートルズを引きずって、アルバムの中でお互いを罵り合い、リンゴは陽気に「元ビートルズ」を演じていたころ、「ビートルズ」の「ビ」の字さえ感じさせない、スワンプな「大人のロック」の「オール・シングス・マスト・パス」。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ただ言っておきたいのは、ビートルズの「サージェント・ペパーズ・・・」もそうですが、「金字塔」と言われているアルバムより、ファンは他のアルバムが好きだったりします。

僕は「サージェント・ペパーズ・・・」より「リボルバー」が好きです。

以前にも書きましたが、ビートルズ初心者に「最高傑作」のハズの「サージェント・ペパーズ・・・」をお勧め出来ないというパラドックスは、ジョージにも言えます。

僕はジョージのアルバム「慈愛の輝き」が大好きです。

たぶん、ジョージ・ファンなら多くの方が賛同してくださると思います。

ミーハーなファンなら「オール・シングス・・」の次は、間をすっ飛ばして「クラウド・ナイン」あたりがCDラックにあるんでしょう・・・

ただ、本作がなければ70年代のブリティッシュ・ロックは語れません。

「レット・イット・ビー」はビートルズ・ファンには「鬼っ子」的アルバムですが、実は、多重録音ばかりしているビートルズは過去のものと押しやられようとしてました。

当時出てきた、フリートウッド・マックやクリームが新しい音楽として求められ、ジョンなどが一番影響を受けてました。

「ヤー・ブルース」なんかは、ビートルズがクリームをまねたら?という曲。

「アイ・ウォント・ユー」など、「アビー・ロード」の少し前に発売されたフリートウッド・マックの「ブラック・マジック・ウーマン」の模倣。

まあ、ストーンズの番組に出たとき、ジョンのバンド名が「ダーティー・マック」というところから、ジョンがフリートウッド・マックを好きだったのは判りますが・・・

ビートルズしか聞かないビートルズファンは、この辺の曲も「スゴイ」と評してますが、当然ビートルズも人の影響受けていたっていうの!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そのビートルズでやろうとした「スワンプ・ロック」名盤を作るハズだった「ゲット・バック・セッション」は失敗に終わり、ビートルズがファンに受け入れられたのは「アビー・ロード」という、やはりビートルズらしいポップなスタイルでした。

そのビートルズが「ゲットバック・セッション」でやろうとしていた「泥臭さ」を推し進め、世間のビートルズの音楽に対するイメージを打ち破り、それまでビートルズを「古い音楽」として見向きもしなかった「ニュー・ロック」ファンにも受け入れられ、なおかつヒットチャートに入るだけのポップセンスも持ったのが「オール・シングス・マスト・パス」です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「レット・イット・ビー」や本作「オール・シングス・マスト・パス」を好きという人は、フリーやデイヴ・メイソン、ストーンズ、ドミノスなんかも、普通に聞けると思います。

ドミノスのクラプトンは、いつも一緒にいるジョージを見ていて、同じ声の細いボーカリストとして、多くのことを学んだと思います。

ジョージの奥さんにまで目がいったのもこのころ。

歌がヘタとされていたクラプトンが後にグラミー・シンガーになれたのは、ジョージの声の細さと音域の狭さを逆に武器にしている姿を見たからだと思います。

ポールの作る曲のように、低いところから一気に上まで駆け上がるような曲を書いたりしませんし。

「マイ・ラブ」なんか、出だしの、あんな低いところから駆け上がるのカラオケで歌えないですもん。

あ、ドミノスでいえば「ベルボトム・ブルース」は大好きな曲ですが「サムシング」の焼き直しに「ピキピキ」のロビー・ロバートソンのギターで味付けした感じです。

ジョージのテイストにザ・バンドのサウンド、まるで「オールシングス・・」。

クラプトンをけなしているのではなく、ジョージから学んだということがいいたいのです。

名作といわれるアルバム「いとしのレイラ」も、「オール・シングス・・」でのセッションが無ければ、ただのジャム・セッションだったかもしれません。

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オリビア・ニュートン・ジョンのデビュー曲「イフ・ノット・フォー・ユー」もジョージ・バージョンからでしょうし、本作の影響を受けた人は多い。


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ただ、日本では、この辺のことが伝わらず、どちらかというとベクトルがアメリカへ向いていました。

ブリティッシュもアメリカもなく、ボブ・マーリーも、ミッシェル・ポルナレフもウイングスも全てレコード店では「洋楽」のコーナーでした。

当時、ビートルズの後の洋楽の代名詞は「カーペンターズ」でしたし・・

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70年代のブリティッシュロックを語るなら、一番外せないアイコンが本作。


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テーマ:洋楽ロック - ジャンル:音楽

この記事に対するコメント


ジョージの曲は、どんな曲でも、なぜか心がほっとします。

「ニューセンチュリーエディション」について、一日も早く、お願いします!!!!!!!
【2010/12/13 08:44】 URL | 赤井川塾 #H6hNXAII [ 編集 ] top

Re: タイトルなし
こんばんは。

> ニューセンチュリーエディション

最初、通常盤とまとめて書こうとおもったのですが、ニューセンチュリーエディションも、ちゃんとジョージが作業しているので、別物として時系列どおり書いていきます。

ですから、かなり最後、しかも涙なくしては書けない、ジョージ末期の時期です・・

【2010/12/13 22:18】 URL | マスター #- [ 編集 ] top


ジョージは公私ともに最も辛い時期にこの傑作&大作を創り上げたのですね。>「All Things Must Pass」

ジョージとクラプトン、どうしてもキャラも芸風?も華やかな後者が目立ち、世間の評価も高いですが、実際は、互いに自分には無い才能を認め合って学び合う間柄だったんですね。

>歌がヘタとされていたクラプトンが後にグラミー・シンガーになれたのは、ジョージの声の細さと音域の狭さを逆に武器にしている姿を見たからだと思います。

私も、ジョージのこういった「欠点を逆に武器や個性に変える」というやり方や生き方に上手く倣いたいですね。
【2010/12/15 01:11】 URL | amanoiwato #uoSKjgR6 [ 編集 ] top


amanoiwatoさんこんばんは。

ビートルズの伝記などに出てくる、ビートルズの母とも言えるルイーズの死がこの時期だっとは、僕もかなり後で知りました。

>欠点を逆に武器や個性・・
AORというジャンルはひょっとしたらジョージが創始者とも思っています。自分の声にあったサラリ感がなんともいいんです。TOTOのルカサーがリスペクトするのも判ります。

ジョージの話をすると、必ず出てくるクラプトンとの友情話。ジョージが好きなら、と、クラプトンも聴いてますが・・
【2010/12/15 02:07】 URL | マスター #- [ 編集 ] top


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