
1. サムタイムス
2. アイ・ドント・マインド
3. ブラインド・アウル
4. ギブ・イット・アップ
5. コンスティテューション
6. ベイビー・ブルー
7. ネイム・オブ・ザ・ゲーム
8. デイ・アフター・デイ
9. タイムレス
10. アイ・キャント・テイク・イット
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1990年、ロックファンの間で事件が起こった。
(「ポール来日」ほどじゃなかったが・・)
すでにカタログから削除されていたバッドフィンガーの楽曲。
(このころ、アナログ盤が一万以上していて人気の高い「ノー・ダイス」で程度が良いと三万ぐらい)
当時、まだアップルの諸問題は完全にはカタがついていなかった。
アップルのカタログ(ジェームス・テイラー、メリー・ホプキン、バッドフィンガー、ビリー・プレストンetc)は20世紀中にCD化は無理だとあきらめていた。
そこに突然、バッドフィンガーのライブアルバムの発売の知らせ。
(日本では1991年2月発売)
20年以上前にビートルズのお墨付きで世に出て数々のヒットを飛ばし、悲劇のうちに終焉を迎えたバンド。
これだけ有名でも楽曲カタログが葬られたバンド。
「バッドフィンガー」という言葉は当時のロックファンには「幻想」にも似た「伝説」だった。
当然、このアルバムは異例の売上。
「ノー・マター・ホワット」や「カム・アンド・ゲット・イット」が入ってないが、「デイ・アフター・デイ」「ベイビー・ブルー」が聴けただけ満足だった。
はじめてのバッドフィンガーのオフィシャル盤を手にしたというだけで僕は興奮した。

(左が1990年の初出のCD。右は2005年の紙ジャケ盤)
このライブアルバムの事件が呼び水となり、バッドフィンガーのアップル時代のカタログのCD化、しいてはアップルのアーチスト達のCDが発売の運びになった。
(実際には「ベスト・オブ・バッドフィンガーVol.2」の発売があるが、輸入盤のみで、一部マニアの騒ぎだった)
このアップルレーベルのCDは音楽界でも大事件だった。
いまだ問題は片付いていなく、一時的な発売となり、その後廃盤。
高額アイテムとなっている。
いずれにしても、1990年からの「ブリットポップ」の先駆者、バッドフィンガーの再認識となる動きは、このライブアルバムからスタートしたのだ。
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1974年3月4日オハイオ州クリーブランドのアゴラにて、ライブアルバム作成のために2インチ16トラックで録音された。
当時米国のFM局で一部がオンエアされ、数々の海賊盤を生むことになる。
ジーイ・モランドは1988年、このライブをリリースしようとメカニカル・ライセンスをアップルから取得。
マーク・ヒーリー(1987年ごろのジョーイのバッドフィンガーのベーシスト)とプロデューサーとなり、マスタリングを始める。
作業は入念に行われ、権利取得からリリースまで2年を費やした。
それ故、過去の海賊盤で出回ったものに比べれば、格段に音質が上がっている。
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しかし、ジョーイの曲「サムタイムス」「ギブ・イット・アップ」のジョーイのボーカル・トラックが新しく録音されている。
その結果、トムのコーラスが一部消えてしまったりしている。
ギターパートなども若干手が加えられている。
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それでもこのライブで聴けるバッドフィンガーの音は素晴らしい。
スタジオアルバムで聴ける彼らはビートルズ直系の素直な「良い音」のイメージ。
このアルバムではガレージ・バンドのようなルーズさが魅力である。
ジョーイはゴールドマイン誌のインタビューで、
「それはまったく非の打ちどころがない。
この素晴らしく力強く、ほとんどだらしのないライブ・サウンド。
それは本当に、オールマン・ブラザーズの「ライブ・アット・フィルモア」のサウンドのようだ」
と、語っている。
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1972年にピートはライブの機材に不満を述べたことがある。
適切なピアノ用ピックアップの欠如により、多くのスローナンバーの演奏が制限されたと。
本作でもピアノ曲はなく、その分ラウドなバッドフィンガーを聴くことが出来る。
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演奏曲は1974年ということもあり、「ストレート・アップ」から4曲(①⑥⑦⑧)、「アス」から3曲(③⑤⑨)、「バッドフィンガー(涙の旅路)」から1曲(④)であります。
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一時は大騒ぎされた本作も、今では廃盤状態。
2005年の紙ジャケ盤がわずかに早い者勝ちで購入できるのみ。
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