「宇宙の超高速船」E・E・スミス作 / 亀山龍樹 訳・松永謙一 絵
タイトルと挿絵を変えて同出版社で版を重ねています。
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あらすじ若い科学者シートンは、偶然に銅を使って推進するエネルギーを発見。
シートンは親を早く亡くしたが、一生懸命がんばって研究者になり、離れ離れになっていた妹のドロシイと仲良くくらしている。
シートンはスポーツマンでもあり水泳、バイク、テニスが得意だった。
テニスの大会で知り合った、クレーンという、冒険家、考古学者、億万長者の友達がいた。
シートンとクレーンは、このシートンが新しく見つけたエネルギーで宇宙に行くことを計画。
そのエネルギーを狙うデュケーン博士。
デュケーンは先に宇宙船を作り、ドロシイを人質にする。
無理やりつれて来られたタイピストのマーガレットとどろしい、デュケーンの三人は、事故で宇宙へ。
その後を追いかけるシートンとクレーン。
他の星の戦争にも遭遇したり、手助けをしたり。
果たして5人の運命は?
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感想わかりやすく、非常に楽しいお話でした。
「やたら面白いな」と思っていたら、E・E・スミスは「レンズマンシリーズ」の作者でした。
一つの話の中に、ハラハラとドキドキがぎゅっと詰まっていて、面白かったです。
この「宇宙の超高速船」は「スカイラークシリーズ」として全4作あります。
シリーズが続くとみょうなもので、本編に出てきたデュケーン博士の人気が高くなったりしたそうです。
僕も、本編でもデュケーン博士を嫌いになれなかったです。
驚いたことに、本作では「原子力利用」の話が出てきますが、実際に原子力が利用されるようになるのは何十年も後。
この第一作を書き上げたのが、1928年。リンドバーグの大西洋無着陸横断の翌年のことです。
これには
ヒューゴー・ガーンズ・バックも驚いたらしいです。
(書き上げた『宇宙のスカイラーク』は当初あらゆる出版社から相手にされなかったが、1928年から『アメージング・ストーリーズ』という雑誌が採用。原稿を受け取ったのが『アメージング・ストーリーズ』のガーンズ・バック。)
まったく古さを感じさせない、今の子供にも読んで欲しいお話でした。
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エドワード・エルマー・スミス(Edward Elmer Smith あるいは E.E."Doc"Smith, 1890年5月2日 - 1965年8月31日)
アメリカウィスコンシン州生まれのSF作家。
子供のころは開拓農民の子供として過ごす。
(子供のころの思い出が作品にも色濃くでています)
アイダホ大学にて化学を専攻。
卒業後は標準局に就職し、食品の品質規格制定等に従事。
ドクの名は、1919年にジョージ・ワシントン大学から博士号を受けているため。
SFの舞台が太陽系より外に出たのはスカイラークシリーズが初というのは特筆すべき点。
1920年頃に書き上げた『宇宙のスカイラーク』は当初あらゆる出版社から相手にされなかったが、1928年から『アメージング・ストーリーズ』誌上で連載が始まると人気を呼び、シリーズ続編が書かれることとなる。
このとき原稿を受け取ったのが『アメージング・ストーリーズ』のガーンズ・バック。このころ合衆国標準局からF・W・ストック&サン社に転職。技師長としてドーナッツ・ミックス・パウダーの研究開発を行う。
1936年にはダウン・ドーナッツ社に移籍。
1937年から、更に壮大な背景を持つ『銀河パトロール隊』の連載を開始。
これは『レンズマン』シリーズとして、1950年の『ファースト・レンズマン』まで書き継がれた。
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亀山龍樹(かめやまたつき、1922年6月10日 - 1980年3月23日)
日本の翻訳家、作家。
佐賀県生まれ。
東京帝国大学文学部インド哲学科卒業。
学徒兵として出陣、戦後は白木茂の下訳をし、小谷剛の同人誌『作家』に拠って小説を書いていた。
日本児童文芸家協会理事、少年文芸作家クラブ会長を務める。
表記は亀山竜樹とも。
息子さんに、写真家の亀山哲郎がいる。
翻訳家としては英文和訳を専門とした。
英語以外の作品は、恐らく他人の翻訳をリライトしたもので、児童文学の世界ではよくあることです。
最初に刊行された訳書はビクター・アップルトン『空中列車地球号』か、もしくはエラリー・クイーン『金色のわしの秘密』であす(いずれも1957年)。
以後も英米のジュブナイルの翻訳、一般向けのSF・ミステリ・冒険小説を児童向けに抄訳することを主たる仕事とした。
代表的な訳書にスターリング・ノース『はるかなるわがラスカル』(アニメ「あらいぐまラスカル」の原作)、ギャリコ「ハリスおばさんシリーズ」、ネルスン・ボンド『宇宙人ビッグスの冒険』、ジョン・クリストファー「三本足シリーズ」など。
訳書の総数は、20年強の活動期間に対して100冊前後。
(参考 本書あとがき及びWikipediaより抜粋)
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松永謙一氏にかんしては明細が不明です。
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