
1971年に発表されたジョン・レノンの代表曲。
正直、この曲を今年、ジョンの誕生日に取り上げるとは思わなかった。
僕は、この誇大妄想的な歌より、同じアルバムなら「ジェラス・ガイ」のほうが好きである。
こういうことを書くと、狂信的なジョン・レノンファンは僕に腹が立つだろう・・・
だが、僕も熱狂的なジョンのファンである。
「大好き」という前提での文章としてお付き合い願いたい。
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-「ザ・ビートルズ・レコーディングセッションズ」ポール・マッカートニーのインタビューより-
ポール「前略・・・ジョンが死んでから-これは自然なことだから世間を責めるわけにはいかないけど-彼は殉教者だと言われるようになったよね。
でも彼はそんなものになりたがってはいなかった。
ジョンが死んだ日に聞いたインタビューで、彼はこう言っていたんだ、
「僕はいまいましい殉教者なんかになるつもりはないのに、みんなが僕を殉教者にしたがるのさ。
『僕はまっぴらだよ。おやすみ』って奴らに言ってやりたいね」。
でも結局はこうなってしまった。僕(ポール)が死んだら、やっぱり僕のいい面ばかりがクローズアップされて、「彼はあの曲を1テイクで録ったんだってさ。なかなかやるじゃないか」とかなんとか言われるんだろう・・・・・・後略」
僕は、このポールのいう「殉教者」(ここではジョン)の讃歌が「イマジン」に思えてしかたない。
しかも、ジョンのなりたくない「殉教者」に、故人の身内が扇動しているように映るのが今まで気に入らなかった・・・
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僕の周りでも、
「ジョン・レノンて、「愛と平和」のために奥さんのヨーコさんと戦ったんですよね?ヨーコさんがテレビで言っていました。ライブでみんなで歌っていた「イマジン」がよかったです・・・」
というようなことを時々聴きます。
かくいう僕も、こうやってジョンの誕生日に彼の記事を書いて、扇動しているのかもしれない・・・
毎年、彼の命日には、奥さんヨーコの音頭で「愛と平和」のイベントが定着してきた。
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こう書くと、遠まわしにヨーコさんを非難しているようだが、
実は、アーティスト「ヨーコ・オノ」は好きだし、彼女のアルバムも持ってる。
そこらの「ヨーコ肯定派」より、彼女のアルバムは持っていると思う。
彼女がビートルズのスポークスマンに知らぬ間になっているのに「???」だった。
「オノ・ヨーコが認めたビートルズのコピーバンドのライブがあるよ。行かない?」
と、言われ、
「なんだそりゃ?ヨーコ=ビートルズなのか!!」
その昔、ビートルズ時代のジョンの曲を、勝手にCMに使うことを許可して一悶着も起こしたりした。
こういうところが理解できず、
「彼女だけで活動すれば、大好きなのに・・・」
と、勝手に思っていた。
が、最愛の夫を無くしたのである。
ジョージの妻、オリビアのようにひっそりと静かにしてる人もいる・・・
自分がヨーコだったらどうだろう?
彼女の気持ちが判らなくでもないと思いはじめ、以前ほどこのイベントや、この曲に嫌悪感を抱かなくなった。
自分の最愛の夫を常に感じていたい。
その結果が、みなの心にジョンの良い思い出を残したいという行動だったりするのでは?
と、思い出した。
それが自分が死んだ後も、何百年も後も、人に語り継がれるならなお・・・
こう思うと、ヨーコさんに「人間味」もしくは「女」を感じて、好きになった。
夫が「殉教者」になりたくなかったのは承知だが、自分の行動を抑えられない。
世界中の人にジョンの曲を・・・
僕が間違っているのかも知れないが、夫が「殉教者」になりたくないのに、彼の誕生日や命日を世の中に覚えてもらうためとも思えるイベントは・・・・
そうせずにはおれないという「女性」の「弱さ」というなら、僕は彼女を好きになる。
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2000年も前、同じようなことがあったのかもしれない・・・
その人を愛した人は、その人を愛するがゆえ、エピソードを少し誇張したり、「いい面ばかりがクローズアップ」され、後の人たちはそれを「奇跡」と呼び、クリスマスを特別な日として祝うようになったのかも・・・
今、ひょっとしたら、こういう歴史が作られている瞬間を見ているのかもしれない。
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で、「イマジン」に戻しますが、
ファンは、この曲を「ジョンの言葉」として聴いてます。
実は、この曲の歌詞は、ヨーコの詩集「グレープフルーツ」の中にある詩「ツナフィッシュ・ピース・サンドウィッチ」にある「想像しなさい、千の太陽が一辺に昇る所を…」というくだりがあり、ジョンは、オノ・ヨーコの詩集「グレープフルーツ」から拝借したと語っている。
本曲の作詞者にヨーコの名は加えられていないが、後にジョンは「あの当時は自分勝手で男性的だった」とヨーコを署名に加えなかったことを恥じていたといいます。
自分勝手な男が歌う、平和の讃歌って・・・
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最初に僕が同じアルバムの中の曲なら「ジェラス・ガイ」が好きだといったのはこの辺のこともあります。
また、この頃のジョンは、あまり誉められたことをしていませんし、僕にはこの曲が等身大の彼の言葉に聞こえなかったのです。
もう少し複雑な英語の歌詞なら、意味も判らず、曲の美しさだけを楽しめましたが・・・
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最近、ジョン・レノンやボブ・マーリーなどのミュージシャンの(子供用の)伝記が書店に並んでいたりします。
先のポールが述べた「いい面ばかりがクローズアップされて」います。
この(子供用の)伝記を読んでも、ジョンのエピソードの『失われた週末』は出てきません。
こうして、活字になり、子供たちに話は伝わり「殉教者」になるのでしょう・・・
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彼を「殉教者」に奉り上げようとする人は、キリストを売ったユダと同じように、ジョンを撃った犯人の名も即答できるのでしょう・・・
ジョージの方が、実は壮絶な死を遂げているのですが、ジョージを刺した男の名前を知っている人は少ない。
ジョージが刺されたことも知らなかったり・・・
これは、ジョージを「殉教者」にしようとする力が働いていないからだと思います。
ジョンを撃った男もまた伝説になりつつある。
彼は狂信的なジョンのファンだった。
ヨーコは「愛と平和」のために請願にて収監期間を延長してもらい、その男に塀の向こう側にいてもらうことを望んでいる・・・
「殉教者」ジョン・レノンを撃ったのでなければ、もう塀の外に出ているだろう。
ジョンが「特別」と認められたから請願も受け入れられたと思うし・・
請願を出したほうも「特別」ということを訴えたのだろうし。
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皮肉にとられたらスミマセン。
が、非常に好きなアーチストです。
「イマジン」のような世界になればいいと思いますが、やはり町には警察に居て欲しいし、これが町ではなく国になれば・・・
「イマジン」のような歌詞のことを言わなくてもいい日が来れば、それこそ真のユートピア。
それもいいと思っている自分もいるとも気付かしてくれました。
こういう、矛盾の議論のぶつかり合いこそ、人間のすばらしいところだと思う。
あくまで議論のぶつかり合いを望むのであり、感情のぶつかり合いを望んでいるのではありません。
ま、こういうことを語るとイデオロギーの話になるので、僕がかならずしも正しいとは思いませんし、反対意見が正しいとも思いません。
この曲が僕にこういうことを考える機会を与えてくれるのは非常にいいことだと思っています。
最近は、普通に歌えるようにもなったしね。
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なにやら、誤解を招きたくなく、言い回しが長々となりスミマセン。
最初に言ったでしょ。僕が大好き前提の文章だって・・
イマジン
こんばんは。
ジョン・レノンの「イマジン」を初めて聴いたのは小学生の頃。親父が所有していたCDを勝手にパクって聴きました。
歌詞のことなんて全然わからないけど、メロディが大好きでした。
んで、歌詞の意味を知ったのは中学生。マスターさんが言うように「誇大妄想的だなぁ」とちょっぴりガックリきた思い出があります……。
ビートルズに興味を持っていろいろと調べてみたら、確かに良い面ばかりが取り上げられて、負の部分は隅に追いやられているのは疑問を持ちました。
まぁそれでも嫌いにはならなかったですけど。
マスターさんのように詳しくはないですけれど、今回のブログを読んで「なるほど」と頷き納得しました。
ジョンを「殉教者」として祭り上げるのは間違っていますね……。
Re: イマジン
こんばんは。
昔、ジョンのことを好きゆえに、ファン同士の会話で、
「ジョンは一般の幸せを望むからハウスハズバンドしてたんだよ。ジョンは普通の良いお父さんだった」
と、言ったところ、天才を普通呼ばわりしたと、かなり非難されました。
ジョンが普通でありたいと望んでいたから、僕はファンとして「殉教者」にしたくなく発言したのですが・・・
本人が望むならいいと思います。
マーク・ボランなど、自分が死んでからも自分のレコードがビートルズなどのレコードと同じように売れ続けてくれるかを気にしていたし、発言からも「殉教者」になりたがっているふしがある・・・
こういう場合ですと、僕もマークの凄さを誇張して語りやすいのですけどね・・・
【2009/10/10 05:57】
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