「恐竜の世界」コナン・ドイル作 / 久米 穣 訳・久里洋二 絵
現在、同出版社の同シリーズのでは「ロスト・ワールド」と改題し挿絵を代えて版を重ねています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
あらすじぼくはエドワード・マロンという23歳のデイリー・ガゼット新聞の記者。
事件らしい事件もなく、たいくつしている時、編集長からチャレンジャー教授に会って来いとの命令。
気が短く岩のような体のチャレンジャー教授は南米でとほうもない新発見をしたらしい。
新聞記者の身分を隠して会いに行ったがすぐに見破られ、とっくみあいになる。
ラグビー選手だったぼくくも負けじと応戦。
なぜか気に入られ、南米での発見を教えてもらう。
そこは、現地の人間も恐れる台地。
病人がいるから見てくれと現地人。
それはアメリカ人でメープル・ホワイトという男だった。
が教授が駆けつけたときには死亡しており、メープルの残したスケッチブックには、きみょうな怪獣の絵が描かれていた。
ライバルのウォルドロン教授の講演会に出掛けた、チャレンジャー教授と僕。
恐竜たちは一匹も生き残っていないと講義をしているところへ、チャレンジャー教授が異を唱える。
恐竜たちが生きているなら証拠を見せろ!
かくして、探検隊が結成されアフリカへ。
メンバーはチャレンジャー教授と僕。
皮肉屋の解剖学のサンマーリー教授。
有名な貴族の冒険家、ジョン・ロックストンの計4名。
はたして彼らを待つアフリカになにがまっているのか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
感想こども向きに訳されてはいますが、原作の面白さをそこなうことなく、非常におもしろく読めました。
(原作ではマローンは、愛する女性のために実績をあげたい功名心から冒険に参加しますが、本書では「たいくつ」と「好奇心」が理由)
ドイルの作品で有名なキャラクターは「シャーロック・ホームズ」ですが、チャレンジャー教授もまた、シリーズで活躍します。
「失われた世界(恐竜の世界)」(1912年)
「毒ガス帯」(1913年)
「霧の国」(1926年)
「地球の悲鳴」(1928年)
「分解機」(1929年)
僕は、今回はじめてこのシリーズで読みました。
幼い頃に読んだのは、邦題が「生きていたきょうりゅう」だったと思います。
登場人物の個性がまたいいんです。
熱血の若者マロン、がんこなチャレンジャー教授、皮肉屋のサンマーリー教授、どんなピンチもあわてないロックストン。
いずれも愛すべきキャラクターでした。
作品の面白さは、幾度となく映画化されていることからも判ると思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
アーサー・コナン・ドイル(Arthur Conan Doyle KBE、本名:Arthur Ignatius Conan Doyle、1859年5月22日 - 1930年7月7日)
・・・・・・・・・・・
KBEは大英帝国勲章の1つ。
1ナイト・グランドクロス(大十字騎士 GBE)
2ナイト・コマンダー(司令官騎士 KBE/DBE)
3コマンダー(司令官 CBE)
4オフィサー(将校 OBE)
5メンバー(団員 MBE)
・・・・・・・・・・・
1859年、スコットランドの首都・エディンバラ市で、イングランド生まれの役人の父とアイルランド人の母の間に生まれた。
1876年から1881年にかけてエディンバラ大学で医学を学んだ。
1882年にポーツマス市のサウスシー地区に眼科を専門とする診療所を開いた。
彼の診察所は振るわず、患者を待つ間に小説を書き三文雑誌へ送ったが、その度に返却され終いには切手代すらも怪しくなった。
なお「そのころ、現在FAプレミアリーグに属しているポーツマスFCの創設時に同チームに所属しており、初代ゴールキーパーを務めていた」と広く信じられているが、実際に所属していたのはポーツマスFCとは別のポーツマスAFCというクラブで、このクラブはポーツマスFCが結成される4年前に解散している。
1884年、『J・ハバクック・ジェフソンの証言』という、1872年のメアリー・セレスト号乗組員失踪事件に基づいたフィクションであるマリー・セレスト号事件についての短編小説が『コーンヒル・マガジン』1月号に匿名で投稿掲載され評判になる(この小説のためメアリー・セレスト号失踪事件がマリー・セレスト号と誤った名称のまま有名となる)。
1885年、彼は患者の姉であったルイーズ・ホーキンズと結婚した。
彼女は結核のために1906年に死去した。
1907年ジーン・リッキーと結婚した。
1887年のクリスマス、彼の最初のシャーロック・ホームズシリーズである『緋色の研究』が『ビートンクリスマス年鑑』にシャーロック・ホームズの登場として発表された。
ボーア戦争に従軍し、『南アでの戦争:原因と行為』と題された小冊子を執筆した。
この冊子は他国でも広く翻訳出版されることとなった。
この冊子の功績により、1902年にイングランド南部のサリー副知事に任命され、また同年ナイト爵に叙せられた。
勘違いされやすいが「サー」の称号は人気作家の功績とは無関係である。
1903年、『勇将ジェラールの冒険』を執筆。
1912年、『失われた世界』執筆。
晩年は、第一次世界大戦での息子キングスリーの死もあってか、心霊学に傾倒し英国心霊現象研究協会会員となるが、科学的すぎるとして脱退。
交霊会や心霊学の講演、それに関する執筆などを行ない、「心霊主義の聖パウロ」の異名を取った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
久米 穣(くめ みのる)
1931年、鎌倉に生まれる。
自由学園、文化学院卒業。
主として児童文学の創作、翻訳に活躍。
・・・・・・・・・・・・・・・・
久里 洋二(くり ようじ、1928年 - )
日本の洋画家、漫画家、アニメーション作家、イラストレーター、絵本作家。福井県鯖江市出身。
文化学院美術科卒業。
その昔、親の目を盗んで「11PM」を観ていたら、氏の短編アニメをよく目にしました。
(氏のアニメが目的ではないのですが・・・)
「ひょっこりひょうたん島」のアニメも氏の仕事です。
詳しくは、
久里洋二の部屋わたしのブログ