中学の時、京都に移り住み、田舎から出てきた僕は、新しい友人たちから「洋楽」の洗礼を受ける。
そのころ人気だったのは1972年から来日をしているカーペンターズだった。
カーペンターズがデビュー曲はじめ、ビートルズのカバーを多くしていることもあり、ビートルズを知るようになるのですが、今回の話はそれ以前の話。
カーペンターズはまだリアルタイムで、カーペンターズに興味を持ち、出たばかりの新譜「見つめあう恋」を買ったのが洋楽のレコードの最初だと思います。
ラジオで何度か聴いて「いいなぁ」と思い購入しました。

この「見つめあう恋」の元歌がハーマンズ・ハーミッツと知るのはもう少し後、ビートルズなどを聴き始め、洋楽フリークになってからなのだけど、ハーマンズ・ハーミッツも好きなバンドなので・・・
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1964年秋にデビュー。
「朝からゴキゲン」がイギリスで大ヒットする。
1965年にはビートルズの成功に続くべくアメリカに上陸。
「ミセス・ブラウンのお嬢さん」、「ヘンリー8世君」、など多くの全米TOP10ヒットを連発した。
1965年から1966年は完全にアメリカを征服しビートルズの人気を凌駕します。
1966年にはMGMより主演映画「ホールドオン」が封切り、来日公演をしました。
サード・アルバム『ゼアズ・ア・カインド・オブ・ハッシュ』(1967年)。
ヒット曲「見つめあう恋」は、後のレッド・ツェッペリンのジョン・ポール・ジョーンズが編曲で参加しています。
その後、アメリカでは「雨にさよなら」「恋のミュージアム」などのスマッシュヒット(イギリスではノーチャート)は放つもかっての勢いはなく、1968年には映画「ミセス・ブラウンのお嬢さん 邦題 レッツゴー・ハーマンズ・ハーミッツ」が封切られたが回復策にはならず、「恋は晴れのち曇り」そして「スリーピージョー」を最後に全米チャートから姿を消しました。
本国イギリスではその後「恋はハプニング」「サンシャインガール」「マイ・センチメンタルフレンド」「時は流れる」「僕を頼りにして」他の大ヒットを放ち続ける。
1971年のシングル、「レディ・バーバラ」を最後にボーカルのピーター・ヌーンが脱退したことにより事実上解散となります。
現在はヌーンが再結成したバンドと、バリー・ホイットワム(ドラム)が再結成したバンドの二つのハーマンズ・ハーミッツが並立し、別々に活動しています。
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忘れてしまうには勿体ない、ビートルズのドキュメントなどを見ていてもよく当時のファンが口にしているイギリスのバンド。
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実は、ホリーズの「バス・ストップ」は好きな曲なんですが、ハーマンズ・ハーミッツがセカンドアルバムでカバーしていて、この曲を知ったのはハーマンズ・ハーミッツが先だったりします。