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『CHEER DOWN』はジョージの曲名からです。エリック・クラプトンが音楽担当した映画『リーサルウェポン』シリーズ。そのシリーズの『リーサル・ウェポン2 炎の約束』のエンディング曲でもありました。91年のクラブトンとの来日コンサートでも元気に歌っていたのが今でも忘れられません。実は『CHEER DOWN』という英語は存在しません。ジョージの造語なんです。『がんばって!』と掛け声を掛ける時に『CHEER UP !』と言いますが、ジョージは『無理をしなくていいよ』という意味でこの言葉を作りました。

マスターの独り言

ここは小さなバー、CHEER DOWN。マスターの日記です。

このページ内の記事タイトルリスト

バングラデシュ・コンサート - The Concert for Bangla Desh -

バングラデシュ・コンサート

便宜上、カテゴリをジョージ・ハリスンにしています。

バングラデシュ・コンサートバングラデシュ・コンサート
(2005/11/02)
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イントロダクション
バングラ・デューン
ワー・ワー
マイ・スウィート・ロード
アウェイティング・オン・ユー・オール
神の掟
明日への願い
ビウェア・オブ・ダークネス
バンド・イントロダクション
ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス
ジャンピン・ジャック・フラッシュ~ヤングブラッド
ヒア・カムズ・ザ・サン
はげしい雨が降る
悲しみは果てしなく
風に吹かれて
ミスター・タンブリン・マン
女の如く
サムシング
バングラ・デッシュ


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CDと通常盤のDVDのジャケットが同じですが、CDはソニー、DVDはワーナーからの発売。

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三枚組「オール・シングス・マスト・パス」の大ヒットで順調なソロデビューを果たしたジョージ。

1971年7月、ロサンジェルスでラビィ・シャンカールの映画「ラーガ / わが魂の大地」のサウンド・トラック盤のプロデュースをしていたジョージは、ラビィからバングラデシュ難民の悲惨な状況を聞かされる。

ラビィはベネフィットショウを開き、少しでもお金を送ろうとしていた。

ジョージが、

「その程度では何にもならないよ」

といい、すぐに電話を掛け始め、マジソン・スクエアー・ガーデンを押さえ、クラプトンやボブ・ディランらの友人の出演を決め、「バングラデシュ」という曲まで書いた。

ラビィは「本当に魔法だったよ」と語る。

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少しバングラデシュについて。

国境というのは、色々な要因で引かれるのですが、元々バングラデシュは「東バキスタン」でした。
インドを挟んで「西パキスタン(現パキスタン)」がありました。

ザックリ説明すると、

イギリスが支配していたインド。
パキスタンもインド独立運動に参加し、1947年には独立を達成したが、ヒンドゥー教徒多数派地域がインド連邦として独立を宣言。
同日、イスラム教徒多数派地域も分離独立を宣言し、パキスタンはイギリス国王を元首とする英連邦王国として独立しました。
宗教の違いで、インドとパキスタンは国境があったのです。
で、東パキスタンを西パキスタンが支配していました。
別れていても、別々の国というのではなく西が東を支配。

(地図で現在のパキスタンとバングラデシュを見れば判りますが、隣接はしておらず、間にインドがあります)

言語(東はベンガル人が多く、ベンガル語)の違いや、西側に偏った政策によるものです。
東パキスタン地域の独立を主張するベンガル人をパンジャブ人の多い西パキスタンを中心とする中央政府が鎮圧を目的に武力行使を開始。
東パキスタン住民が大量に難民となってインドに亡命したことから、インド政府が介入、東パキスタンは「バングラデシュ」として独立しました。

これが「バングラデシュ独立戦争」。

ラビィ・シャンカールはベンガル人でした。

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バングラデシュ側の後ろ盾はインド、西パキスタン側の後ろ盾はアメリカだったはず。
今回紹介の「バングラデシュ・コンサート」はニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンで行われたものです。
敵の懐での抗議にも等しいライブ、小気味良いじゃないすか。
このアイロニーさが流石ジョージ!!

あまり問題視されませんが、「1971年にアメリカでバングラデシュ救済コンサート」これは重要箇所と思ってます。
ニクソン政権としてはバングラデシュでのパキスタン側の非道な好意について広く世間で知られてほしくなかったはず。
西パキスタンの軍隊は米国の送った資金と兵器でなりたっていたのです。

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ジョージは言います。

「ビートルズのメンバーだったおかげで、僕はが培ってきたことのひとつは大胆であることだと思う。それはジョンに影響されたんだと思う。それはジョン・レノンは何かについて強く心に感じたら、とにかくそれをやった。ジョンの友達だったことで、そのことを身に着けた。それに向かっていく、それをやるんだという姿勢さ」

と。

ここでも永遠の兄貴分を立てています。

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ジョージは寝る間も惜しんで電話掛けまくり、友人たちに協力をあおぎました。

リンゴ・スター、エリック・クラプトン、ビリー・プレストン、レオン・ラッセル、ジム・ケルトナー、バッド・フィンガーetc。

(レオン・ラッセルっていまいち日本で評価低いけど、カーペンターズの「A SONG FOR YOU」なんかこの人が原曲だし、クラプトンのバックのドミノスの面々は、元々レオンのバック。クラプトンの1979年の日本公演でアルバム化されたクラプトンの「ジャスト・ワン・ナイト」では、ラッセルの代表作「A SONG FOR YOU」のピアノの降下音の完全コピーで演奏を開始して、その音楽的起源を披露しています。まあ、そんなスゴイ人)

当然ノーギャラ。

先の「オール・シングス・マストパス」でのセッションがそのまま聴けるといった感じである。

ジョージの人柄の良さがあればこそのことだろう。

1971年7月23日、ジョージが作った曲、シングル「バングラデシュ」を緊急リリース。

それまで無関心だった世界中の人々が、一晩で「バングラデシュ」という国名を脳裏に刻むことになります。

シングル・バングラデシュ / ディープ・ブルー


1971年8月1日、あまりの反響の大きさに、コンサートは昼夜二回に増える。

二回分のチケット4万枚はあっというまに売り切れた。

リハーサルがほとんど出来なかったというが、この歴史的コンサートは大成功に終わる。

コンサート売上から、24万3418ドル50セントの小切手がバングラデシュ孤児救済基金としてユニセフにすぐ送られた。

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フィルムを見た人なら判るが、ボブ・ディランが登場したとき、会場がウェルカム状態。
ディランファンならご存知だろうが、1966年7月29日にディランはバイク事故を起こす。
以来、レコードはリリースするものの、隠遁生活であった。
ギリギリまで出演が危ぶまれていた。
人々の前に久しぶりの登場でのウェルカムだったのです。

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余談ですが、ジョージはバッドフィンガーの「ストレート・アップ」のプロデューサーを降板したのは、本コンサート開催のため、多忙になったから。
バッドフィンガーを出演させたのは、ボブ・ディランがドタキャンしたとき、バッドフィンガーにライブをしてもらう予備軍としてだった。
あの、舞台の隅っこで、出番のほとんどないバッドフィンガーが控えていたのはそういうこと。
もし、ディランがドタキャンしていたら、このアルバムはソニーからの発売じゃないだろうし、バッドフィンガーの貴重なライブ映像として・・・と、不謹慎なことは言うまい。

このコンサートはフィルムとライブ・レコードにまとめられた。

1971年9月1日、ニューヨークのホテルに滞在中のジョン・レノンをボブ・ディランとともに訪問。

1971年9月、ロン&デレク・ヴァン・イートンのシングル「スウィート・ミュージック」をプロデュース。

1971年9月30日、アップル・スタジオの新相オープン記念パーティーに出席。

1971年11月23日、映画「ラーガ」のプレミア・ショーに出席。

アメリカのテレビ番組「ディック・キャベット・ショー」に出演。

1971年12月20日、アルバム「バングラデシュ・コンサート」アメリカ選考発売。

1971年12月16日、パキスタン軍の降伏。

1972年1月、アルバム「バングラデシュ・コンサート」の売り上げの一部をユニセフに寄付。

1972年2月、マネージメントをあずかっていたアラン・クラインが売上を持ち逃げしたという疑惑が雑誌に掲載。

これにより、クラインはジョージ、ジョン、リンゴの信用を失う。

(クラインとビートルズがどうやって決別したか知らないビートルズファンもいますが、そういうことです)

1972年2月28日、ロンドンからフライヤー・パークに向かう途中で交通事故に遭う。

1972年3月23日、映画「バングラデシュ・コンサート」ワールド・プレミア。

ワールド・プレミアのあと世界各国でロードショー公開され、こちらも大ヒットとなりました。


1972年5月13日、映画「バングラデシュ・コンサート」がカンヌ国際映画祭で上映。

リンゴとともに出席。

1972年6月5日、ラビィ・シャンカールとともにユニセフから表彰される。

1972年6月28日、「マイ・スウィート・ロード」で1971年度のアイバー・ノベロ賞受賞。

前の記事にも書いたが、前年は「サムシング」で同賞受賞。

1972年8月、休暇でポルトガルへ。

パティーは同行せず。

1972年11月8日、1968年にジョン1969年にジョージ逮捕した警官が職務権限を悪用した陰謀罪に問われる。


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「オール・シングス・マスト・パス」のヒットの後、またしても三枚組。

現在のCDやDVDのジャケットではジョージがクローズアップされています。

ファンとしては嬉しいし、ジョージのアルバムの感があるのは世間も認めるところ。

ただ、縁の下の力持ちを望むジョージとしては、自分だけの名誉にしたくはないと思います。

アルバムがソニーからの発売なのは、ボブ・ディランの音源が入っているための大人の事情。

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先の「オール・シングス・マストパス」が、70年代の重要アイコンと先の記事で言いました。

少なくともボブ・ディランの70年代の活動はこのコンサートから。

ディラン・ファンにも重要な作品。

ライブアルバムというカテゴリでの70年代の重要アイコンは本作で決まり。

とはいえ、先駆者ならではのほろ苦い出来事もありました。

アルバムと映画による売り上げ収益、約1350万ドル。

非営利の法人主催にしていなかったため、米国の国税庁が課税対象とみなし、税金の支払いを求めてきました。

また、英国ではビートルズの所有するアップル・レコードが監査を受けており、その期間は9年に及ぶことになる。

先の24万3418ドル50セントは届いたものの、残りのリコードや映画の売上のお金が最終的にユニセフに届いたのは11年後となる。

また、年表に書いたが、クラインとビートルズの決別など。

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ベネフィット・コンサートの先駆けが「バングラデシュ・コンサート」。

先に述べた失敗があるから後に続く者たちも学ぶことが出来た。

エチオピアのための「バンド・エイド」、アフリカのための「USA・フォー・アフリカ」。

英米が協力し開催された「ライブ・エイド」。

現に、「シークレット・ポリスマンズ・アザー・ボール」」に出演し、「バンド・エイド」を呼び掛け「ライブ・エイド」を主催した、ボブ・ゲルドフが、まず助言を求めたのがジョージ・ハリスンだった。

この功績が認められて、ゲルドフはイギリスの女王、エリザベス2世から栄誉あるナイト爵位を含む数々の賞を受賞。
(イギリスまたはイギリス連邦の市民でないため、ゲルドフは「サー」の称号の利用を妨げられてしまうが、お構いなしに「サー・ボブ」のニックネームが定着し、報道でさえも「サー・ボブ・ゲルドフ」として頻繁に言及するようになる)

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最後に、

歴史的価値の大きな作品ですが、音楽面について言及できてません。

ゆるされるなら、一曲づつ書いていきたいのですが、どれだけ長文になることか想像すると嫌になってくるので。

他にも、このアルバムに関しては書きたいことが多いのですが、多すぎて困ります。

これでも削ったほうなんですけどね。

この作品もとやかくいう作品でなく、

「70年代のロック語るなら持っておけ」

というアルバム。

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バングラデシュの首都ダッカに、独立戦争を記念する小さなミュージアムがある。

その戦争で殺された300万近いベンガル人のシャツやサンダルが悲劇の証拠として展示されている。

その壁には共同墓所の地図などと一緒に飾られている一枚のLPジャケットがある。

空港に名前をつけられるより、名誉なことだと思うよ、ジョージ。

実にさりげなさが、あなたらしい・・・

「僕の功績じゃないよ」

というんでしょうが・・


バングラデシュ・コンサート


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オマケのリハーサル映像。


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テーマ:洋楽ロック - ジャンル:音楽
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