「ビートルズの中で誰が好き?」
と、聴かれれば迷わず、
「ジョージ・ハリイン」
と、答えてきた僕。
中にはいきなり、
「ジョンとポール、どっちが好き?」
という、ジョージとリンゴを無視した無礼な質問が出たりもしばしば。
が、「ビートルズの中で誰が好き?」と聴く人間も、ジョンかポールのどちらだろうという意味で訊いているのが大半なのか、「ジョージ・ハリスン」と聞いた瞬間、以外そうな顔をする。
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かつてジョージは、
「僕とリンゴはエコノミークラスのビートルズ」と、揶揄してみせた。
先の質問をする人たちが大半なことや、世間での自分の評価をうぬぼれることなくちゃんと理解しているのである。
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これらの質問をしてくる人たちの大半の人が、ジョン=ロック、ポール=ポップというイメージを持っておきながら、
「じゃあ、ジョンのロックな曲って何?」
と、聞いても「・・・・・」である。
彼の生き様=ロックというイメージなのであろう。
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ビートルズの後期以降からソロになってまで、実は一番ハチャメチャだったのがジョージ。
かぜか、インド、盗作問題、パティーとクラプトンのゴシップ。
なんで「静かなビートル」というイメージなんだろう?
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かくいう僕も、ジョージが好きといいながら、ジョージに関する書物などを集め出したりしたころ、そのあまりの少なさにビックリであった。
が、それでも少しずつ見えてきた彼の人間性や功績の大きさにはビックリした。
ロックで初のベネフィットコンサートをしたのもジョージなら、70年代のブリティッシュロックのスタイルを切り開いたのもジョージ。
(スワンプロックというカテゴリーで。ジョンやポールはその存在だけで、当時のムーブメントにまったく関係ない音楽だった)
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ジョージはやたらインドというイメージを持たれがちだが、ビートルズの213曲の内、ハリスンのクレジットが付いているものが25曲。
その内共作となる「クライ・フォー・ア・シャドウ(ジョンと共作)」と「フライング(全員のクレジット)」を除く23曲のうち、ラーガロックと言われるものは3曲ほどしかない。
が、それほどインドのイメージが付いたというのは、よほどインパクトがあったのだろう。
誇りに思ってもいいぐらいだ。
が、ジョージがインドに行ったのは、ジョンとポールの2人の天才の壁を見て、インドへ活路を見出した「逃避」にも似た行動に思う。
同じころ、ストーンズのリーダーだったハズのブライアンが、ミックとキースのグリマー・ツインズに追い立てられ、モロッコに逃避したのに似ている。
(ホームページ「ロックスターに願いを」で少し触れているが・・)
片方は末っ子的存在の気楽さから、命を落とすまではならなかったが・・・
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それでも彼のイメージというのは「ミステイアス」で片づけられている。
ビートルズファンで、割とジョージに好感を持ってくれている人でもジョージのアルバムといえば、
「オール・シングス・マストパス」ぐらいを知っているのだが、この高価な三枚組のアルバムを購入しているという人間は少ない。
その後のソロアルバムに至ってはモヤっとしていて把握出来ないというのが現状のようである。
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ビートルズファンなら「サージェント・ペパー」が「最高傑作」という世論に異論だとしても、「金字塔」というなら異論はないだろう。
が、ビートルズ初心者が「サージェント・ペパー」を買おうとしたら止めるハズである。
「サージェント・ペパー」を聴いて「なんだこれ」と思われたくないからである。
これはジョージにも言える。
「オール・シングス・マストパス」は70年代のロックの金字塔である。
が、それ以外に、ビートルズで例えれば「リボルバー」や「ラバーソウル」の立ち位置に匹敵するアルバムが、その「モヤ」っとした時代に存在する。
当然、「フォー・セール」に匹敵するやる気の無い作品もある。
が、ビートルズファンなら「フォー・セール」の「ミスター・ムーン・ライト」のジョンの出だしの声で満足なように、ジョージを好きになってしまえば、ヘンテコに思える不協和音のような響きにこそパラダイスは存在すると思えてくるハズ。
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このブログを今日見返して、もっとジョージの作品を紹介していると思ったのだが、全然書けていない。
改めて、今後機会を見て、ちゃんとジョージの作品のレビューを書きたい。
「折伏」の意味もあるが、改めて僕自身が「モヤ」っとしている部分をスッキリしたく思った。
ただ、この「モヤ」っとしている部分が彼のいいところで、ジョンのように軽々しく音楽も聞いていない人間に語られることがないのであるが。
「ジョージのように生きたい」
と、思ってから、彼の少ない文献やエピソードを読み、自分の考え方が多少変わったのは確か。
もっと、このヒトラーファンの愛すべき「第三の男」の作品が認知されることを願う。