この記事は先月末ごろ下書きしていたものです。
内省的になっているので、どうしようと思いましたが、本日、小学校時代の恩師から、僕と僕の母との思い出話を聞かされ、やはりアップすることにしました。
恩師にまつわるお話はまた後日。
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先月の中旬の話(厳密には三月の第三水曜日だった。U.M.くんに音楽舘でこの話をしたから覚えてる)。
よく行くチェーン店の中華料理店(京都ではなく大阪のほう)。
キャーンペーン中で、Wiiや、折りたたみ自転車が当たるスピードクジをしている。

当然、タダではなく有料。
それを横目に、レジ横のカウンターで定食と餃子を注文。
平日なのに「餃子の日」というのがあり、この日も餃子が百円引きだったので注文。
で、食べているとレジのほうから、
「いらっしゃいませ」
「あのー、お持ち帰りをお願いします」
という声。
自分でテイクアウトする「持ち帰り」に「お」をつけて注文する女の子の声。
以前も、同じようなシチュエーションがあったので、デジャブーか?と一瞬思ったが、その小学高学年ぐらいの女の子を見て思い出した。
昨年の十二月の初旬ごろ、やはり餃子の安い日に、この女の子が「持ち帰り」を買いに来て、餃子二人前と八宝菜を、彼女のいう「お持ち帰り」で買って行ったのを思い出した。
そのとき、「
お持ち帰りでお願いします」と注文していた姿が愛らしく、彼女よりやや遅れて店内を出た自転車の僕は、寒い中家路へ急ぐ彼女を追い越しながら、心の中で応援したことも思い出した。
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その女の子が今日は小学低学年と思われる弟と「お持ち帰り」のお使いである。
やはり、以前と同じく百円引きの餃子二人前と八宝菜の注文。
で、出来上がるまで横の椅子で弟と待っている。
弟が、先に述べたクジを眺めながら、
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弟「去年もサンタさんはWiiを持ってきてくれなかった・・」
姉「あんたが勉強しなくなるから、お姉ちゃんが断ったの!」
と、一括。
弟「僕だけWii持ってないからいじめられてるんだ!」
と、クジを引きたくてダダをこねる。
その後の二人の話をまとめると、
一、母親が風邪をひいたことにより「お持ち帰り」。
一、母親が夜働いているようで、父親はいないようだ。
一、弟は違うものを食べたいが、母親が食欲ないので、せめて食べやすい八宝菜とのこと。
(以前も同じメニューだったということは、以前も母親は風邪だったのか?)
一、二人とも自転車を持っていなく、姉はWiiより自転車が欲しい。
僕は以前は女の子一人で来ていたので判らなかったが、今回は弟と来ていたので二人のやり取りを聞いていて、食べていた唐揚げがしょっぱくなった。
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以前も子供のころのことは書いたが、僕は島に住んでいて、母は高松のフルーツパーラーで働いていた。
家は白黒テレビで室内アンテナだけだったので、見れないテレビ番組も多かった。
お客さんなんかと昔のテレビ番組の話をするが、僕の場合はそれらの番組の思い出は全てモノトーン。
時代的なものもあるが、田舎でもあり、僕のような家庭は当時一軒だけで、周りの母親が島でモンペ姿で働いているのと違い母の仕事は水商売には違いなく、なにかにつけてイジメられた。
「色のついたテレビが欲しい」
と言って、母をこまらせたことを思い出す。
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田舎の晩御飯は大体六時。
友達らが家に帰った後、小高い丘から海を眺め、フェリーが隣の島を出航し、隣の島の岬を曲がったころ、「七時の船(夜七時に到着するフェリーの意。島の人は「○○時の船」と到着時間で呼んでいた)」が着くのが早いか、僕が港まで走っていくのが早いか、一人で船と競争し、「七時の船」で帰ってくる母を迎えに行くのが日課だった。
時には母と競争しながら、時には喧嘩しながら、自宅までの坂道にある街灯のスイッチを入れながら家まで帰っていた。
(昔は裸電球に丸い傘のついた街灯で、その下に瀬戸物で作ったスイッチがあり、気付いた人がスイッチを入れていた)
イジメられようがなんであろうが、お化粧の匂いのする母が大好きだった。
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話はそれたが、この二人の会話を聞いていて、子供時代のことを思い出す。
彼らは昔の僕である。
正直、このころの悔しさは、現在も糧となっているし、自分だけの素敵な思い出でもある。
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この二人も将来、八宝菜と餃子をおかずに家族三人で食事した思い出が、将来口にするであろう御馳走より、いかにあったかかったかを知る日が来ると思う。