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『CHEER DOWN』はジョージの曲名からです。エリック・クラプトンが音楽担当した映画『リーサルウェポン』シリーズ。そのシリーズの『リーサル・ウェポン2 炎の約束』のエンディング曲でもありました。91年のクラブトンとの来日コンサートでも元気に歌っていたのが今でも忘れられません。実は『CHEER DOWN』という英語は存在しません。ジョージの造語なんです。『がんばって!』と掛け声を掛ける時に『CHEER UP !』と言いますが、ジョージは『無理をしなくていいよ』という意味でこの言葉を作りました。

マスターの独り言

ここは小さなバー、CHEER DOWN。マスターの日記です。

このページ内の記事タイトルリスト

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昨日お客さんに、

「バッドフィンガーの記事が今回は短かったですね」。

と、言われる。

よく聞くと、続きの文章があるのに気がついていない・・・

記事に「Read More」となっているのがあるのは、そちらをクリックしてください。


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テーマ:雑記 - ジャンル:ブログ

ストレート・アップ / バッドフィンガー

TOCP-67564

ストレート・アップ(紙ジャケット仕様)ストレート・アップ(紙ジャケット仕様)
(2005/02/23)
バッドフィンガー

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01. テイク・イット・オール /
 TAKE IT ALL
02. ベイビー・ブルー /
 BABY BLUE
03. マネー /
 MONEY
04. フライング /
 FLYING
05. アイド・ダイ・ベイブ /
 I'D DIE BABY
06. ネイム・オブ・ザ・ゲーム /
 NAME OF THE GAME
07. スーツ・ケース /
 SUITCASE
08. スウィート・チューズデイ・モーニング /
 SWEET TUESDAY MORNING
09. デイ・アフター・デイ /
 DAY AFTER DAY
10. サムタイムズ /
 SOMETIMES
11. パーフェクション /
 PERFECTION
12. イッツ・オーバー /
 IT'S OVER

BONUS TRACK
13. マネー(オリジナル・ヴァージョン) /
 MONEY (Original Version)
14. フライング(オリジナル・ヴァージョン) /
 FLYING (Original Version)
15. ネイム・オブ・ザ・ゲーム(オリジナル・ヴァージョン) /
 NAME OF THE GAME (Original Version)
16. スーツケース(オリジナル・ヴァージョン) /
 SUITCASE (Original Version)
17. パーフェクション(オリジナル・ヴァージョン) /
 PERFECTION (Original Version)
18. ベイビー・ブルー(US・シングル・ミックス) /
 BABY BLUE (US SINGLE MIX)

彼らの商業的に最も成功したアルバムです。後に米誌Goldmineは廃盤アルバムの読者投票で最も人気の高かったアルバムとしてCDでのリリースを促しました。


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テーマ:洋楽ロック - ジャンル:音楽

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たこ玉

たことブタ

時々行く「みかさ家」さん。

ブタ玉が鉄板 (お好み焼きだけにね・・プププッ) なんですが、最近、たこ玉をはじめて食べておいしかった。

一人で行くと一つの味だけになるので、nくんにブタ玉注文させて、僕はたこ玉。

これを半分づつ食べる。

最近のパターンです。




テーマ:美味しかった♪ - ジャンル:グルメ

Off the Wall オフ・ザ・ウォール / Michael Jackson マイケル・ジャクソン

マイケル・ジャクソンのアルバムで好きなのが「オフ・ザ・ウォール」。

当時、ポール・マッカートニー&ウイングスが好きだったからマイケルの「オフ・ザ・ウォール」を好きになったというお話。

オフ・ザ・ウォール(紙ジャケット仕様)オフ・ザ・ウォール(紙ジャケット仕様)
(2009/07/08)
マイケル・ジャクソンクインシー・ジョーンズ

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1.今夜はドント・ストップ - Don't Stop 'Til You Get Enough 第1弾先行シングルカット
2.ロック・ウィズ・ユー - Rock with You 第2弾シングルカット
3.ワーキング・デイ・アンド・ナイト - Working Day and Night 第2弾シングルカットC/W
4.ゲット・オン・ザ・フロアー - Get on the Floor 第3弾・4弾シングルカットC/W
5.オフ・ザ・ウォール - Off the Wall 第3弾シングルカット
6.ガールフレンド - Girlfriend 作曲はポール・マッカートニー。
7.あの娘が消えた - She's Out Of My Life 第4弾シングルカット
8.アイ・キャント・ヘルプ・イット - I Can't Help It 第1弾先行シングルカットC/W
9.それが恋だから - It's the Falling in Love
10.ディスコで燃えて - Burn This Disco Out -

初めてクインシー・ジョーンズをプロデューサに迎えて制作されたマイケル・ジャクソンの1979年発表のアルバム。

それまでにもマイケルのソロアルバムは何枚か発売されていたものの、それらは音楽的にマイケルの主導のものではなく、このアルバムから真の意味でのマイケルのソロ活動が始まったと言っていいと思う。

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SUZUKI


このころ、日本でもスクーターのCMに出ていた。

が、当時の空気からいえば、黒人がCMのメインで出演というのは珍しいことであったと思う。

周りでも「あの黒人は誰?」という感じで、スーパースター・マイケルは次回作までまたないといけない。

本国でのヒットとはよそに、日本でのヒットがイマイチ。

ブラック・コンテンポラリーにはまだまだウブな日本で、一部のコアなファンの聴く音楽のジャンルだったように思う。

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僕はソロになってからのマイケルの作品では一番の名作だと思います。

ブラック・コンテンポラリーしていたころのマイケルが好き。

なんですが、この中に「ガールフレンド」という曲があります。

作詞・作曲はポール・マッカートニーによるものです。

元々は1974年にジャクソン5のために作られた曲で、ポール自身も1978年のウイングスのアルバム『ロンドン・タウン』で発表しています。

「ガールフレンド」をきっかけとしてにポール・マッカートニーにコラボレーションを打診した。

これが実を結び、ポールと正式にコンビを組むことになり3曲のデュエット(「The Girl Is Mine」「Say Say Say」、そしてポールのアルバム「パイプス・オブ・ピース」に収録された「ザ・マン」)を後に生むことになる。

ポールとマイケルといえば、「ガール・イズ・マイン」からの交流に思われますが、「ガールフレンド」がスタートの曲です。

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ポールと親交を深め、バディー・ホリーなどの楽曲の権利を有していたポールから、楽曲の権利を所有するアドバイスをもらう。

ポールも、まさかマイケルがビートルズの楽曲の権利を買うとは思わずのアドバイスだったのだろう・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

Michael Jackson - Girlfriend

携帯で見る。

Paul McCartney and Wings - Girlfriend



携帯で見る。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この曲を聴きたさにマイケルと遭遇したというのが正直なところでした。

後は作品のすばらしさにヘビーローテで聴きました。



楽曲の説明はあまり書いていませんが、聴けばマイケルが一番カッコよかったときが判るアルバム。




テーマ:洋楽 - ジャンル:音楽

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テーマ:独り言 - ジャンル:ブログ

15.「宇宙の超高速船」

宇宙の超高速船

「宇宙の超高速船」

E・E・スミス作 / 亀山龍樹 訳・松永謙一 絵


タイトルと挿絵を変えて同出版社で版を重ねています。
宇宙のスカイラーク号 (冒険ファンタジー名作選(第1期))宇宙のスカイラーク号 (冒険ファンタジー名作選(第1期))
(2003/10/15)
エドワード・E. スミス

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あらすじ

若い科学者シートンは、偶然に銅を使って推進するエネルギーを発見。

シートンは親を早く亡くしたが、一生懸命がんばって研究者になり、離れ離れになっていた妹のドロシイと仲良くくらしている。

シートンはスポーツマンでもあり水泳、バイク、テニスが得意だった。

テニスの大会で知り合った、クレーンという、冒険家、考古学者、億万長者の友達がいた。

シートンとクレーンは、このシートンが新しく見つけたエネルギーで宇宙に行くことを計画。

そのエネルギーを狙うデュケーン博士。

デュケーンは先に宇宙船を作り、ドロシイを人質にする。

無理やりつれて来られたタイピストのマーガレットとどろしい、デュケーンの三人は、事故で宇宙へ。

その後を追いかけるシートンとクレーン。

他の星の戦争にも遭遇したり、手助けをしたり。

果たして5人の運命は?

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感想

わかりやすく、非常に楽しいお話でした。

「やたら面白いな」と思っていたら、E・E・スミスは「レンズマンシリーズ」の作者でした。

一つの話の中に、ハラハラとドキドキがぎゅっと詰まっていて、面白かったです。

この「宇宙の超高速船」は「スカイラークシリーズ」として全4作あります。

シリーズが続くとみょうなもので、本編に出てきたデュケーン博士の人気が高くなったりしたそうです。

僕も、本編でもデュケーン博士を嫌いになれなかったです。

驚いたことに、本作では「原子力利用」の話が出てきますが、実際に原子力が利用されるようになるのは何十年も後。

この第一作を書き上げたのが、1928年。リンドバーグの大西洋無着陸横断の翌年のことです。

これにはヒューゴー・ガーンズ・バックも驚いたらしいです。

(書き上げた『宇宙のスカイラーク』は当初あらゆる出版社から相手にされなかったが、1928年から『アメージング・ストーリーズ』という雑誌が採用。原稿を受け取ったのが『アメージング・ストーリーズ』のガーンズ・バック。)

まったく古さを感じさせない、今の子供にも読んで欲しいお話でした。

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エドワード・エルマー・スミス

(Edward Elmer Smith あるいは E.E."Doc"Smith, 1890年5月2日 - 1965年8月31日)

アメリカウィスコンシン州生まれのSF作家。

子供のころは開拓農民の子供として過ごす。

(子供のころの思い出が作品にも色濃くでています)

アイダホ大学にて化学を専攻。

卒業後は標準局に就職し、食品の品質規格制定等に従事。

ドクの名は、1919年にジョージ・ワシントン大学から博士号を受けているため。

SFの舞台が太陽系より外に出たのはスカイラークシリーズが初というのは特筆すべき点。

1920年頃に書き上げた『宇宙のスカイラーク』は当初あらゆる出版社から相手にされなかったが、1928年から『アメージング・ストーリーズ』誌上で連載が始まると人気を呼び、シリーズ続編が書かれることとなる。

このとき原稿を受け取ったのが『アメージング・ストーリーズ』のガーンズ・バック。



このころ合衆国標準局からF・W・ストック&サン社に転職。技師長としてドーナッツ・ミックス・パウダーの研究開発を行う。

1936年にはダウン・ドーナッツ社に移籍。

1937年から、更に壮大な背景を持つ『銀河パトロール隊』の連載を開始。

これは『レンズマン』シリーズとして、1950年の『ファースト・レンズマン』まで書き継がれた。



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亀山龍樹

(かめやまたつき、1922年6月10日 - 1980年3月23日)

日本の翻訳家、作家。

佐賀県生まれ。

東京帝国大学文学部インド哲学科卒業。

学徒兵として出陣、戦後は白木茂の下訳をし、小谷剛の同人誌『作家』に拠って小説を書いていた。

日本児童文芸家協会理事、少年文芸作家クラブ会長を務める。

表記は亀山竜樹とも。

息子さんに、写真家の亀山哲郎がいる。

翻訳家としては英文和訳を専門とした。

英語以外の作品は、恐らく他人の翻訳をリライトしたもので、児童文学の世界ではよくあることです。

最初に刊行された訳書はビクター・アップルトン『空中列車地球号』か、もしくはエラリー・クイーン『金色のわしの秘密』であす(いずれも1957年)。

以後も英米のジュブナイルの翻訳、一般向けのSF・ミステリ・冒険小説を児童向けに抄訳することを主たる仕事とした。

代表的な訳書にスターリング・ノース『はるかなるわがラスカル』(アニメ「あらいぐまラスカル」の原作)、ギャリコ「ハリスおばさんシリーズ」、ネルスン・ボンド『宇宙人ビッグスの冒険』、ジョン・クリストファー「三本足シリーズ」など。

訳書の総数は、20年強の活動期間に対して100冊前後。

(参考 本書あとがき及びWikipediaより抜粋)

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松永謙一

氏にかんしては明細が不明です。




テーマ:読書感想文 - ジャンル:小説・文学

銀杏

銀杏

頂き物の銀杏。

ここのところ、僕のおやつ。

これを封筒に入れ電子レンジへ。

入れた数だけ「パン」といえば出来上がり。

少し高価な塩を付けて食べています。




テーマ:岡山県 - ジャンル:地域情報

ノー・ダイス / バッドフィンガー

ノー・ダイス



帯が横に向いているので、間違っていると思うひともいるでしょうが、

見開きのジャケット


見開くと縦長になり、お姉さまが「悪い指」でこちらを狙っています・・・


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テーマ:洋楽ロック - ジャンル:音楽

ムサシ2009年秋

近所の友達「ムサシ」。

ムサシの記事は昨年11月27日以来。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

昨日20日、プールも休みだったので、お昼に「みかさ家」へ自転車で。

行く途中、ふと見るとムサシはお昼寝中。

お昼寝ムサシ。



途中の踏み切りは、地下道をくぐるか、陸橋を渡るか?

結局地下道から・・・

いつもの感じで中へ入る。

おかあちゃんの

「いらっしゃい」

の声。

お昼時だったけど、お客は少なく、一人居たお客さんも帰り、僕一人。

話している間に完成。

お好み焼き。



比較対照がないから判りづらいけど、結構大きい。

ブタ玉500円。

先日はじめて食べたタコ玉も美味しかった・・・・

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帰りは陸橋を自転車を押して上がる。

ムサシは起きて、表をウロウロ。

奥さんが、

「たまにはブログに書いてやってよ」

という声にお応えして、動画をアップ。


携帯で動画を見る。

聞こえる男性の声はムサシのお父さん。女性の声は奥さんことムサシの自称「お姉さん」とお友達。

ムサシはカメラを向けると動きが普通になるんよね・・・








テーマ: - ジャンル:ペット

ジャンク / ポール・マッカートニー

ビートルズに「キンフォーンズ・デモ」というのがあります。

これは、1968年5月末、サリー州エシャーにあるジョージ・ハリスンの家に四人が集まり、数多く「ホワイト・アルバム」用のデモを録音。

ビートルズとしては珍しいことです。

同年2月25日からマハリシの待つリシケシュに出向いた際、暇を持て余し、曲を書き溜めしていたからであります。

が、それらのデモの内、「ホワイト・アルバム」で陽の目を見た曲もあれば、後年、各人のソロで陽の目を見た曲などがあります。

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「Junk」

これは上記のデモでも聞け、後にポールのソロに入った曲。

いきなりこの曲のことを取り上げたのは、最近練習しているから・・(笑)。

いや、良い曲です。

インドへ行く前のビートルズと、インド後のビートルズの違いはアコースティックの曲に顕著に出ています。

ポールに関しては、それまでも「イエスタディ」や「ミッシェル」など、アコースティックな曲もありますが、コードの運びが明らかに違う。

これは同伴したドノバンの影響によるところが大きい。

(昔からドノバンの写真を見るたびにノッポさんを思い出す・・・)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


携帯で見る。

このデモの段階では「Jubilee(ジュビリー)」というタイトル。

歌詞以外ほとんど完成しているのだけど、なぜか「ホワイトアルバム」の選から漏れます。

この曲より出来の悪いのが沢山同アルバムにはあるのにね。

アルバム「マッカートニー」のイギリス発売は1970年4月17日。アメリカでは4月20日。

その中の「エヴリナイト」「テディ・ボーイ」と並ぶ佳曲とされる。


携帯で見る。

インストゥルメンタルヴァージョンの「シンガロング・ジャンク」(Singalong Junk)も入っている。
後にMTVアンプラグドで披露され、『公式海賊盤』に収録されました。


携帯で見る。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ここのところ、耳にタコぐらいリピートしてギター弾いています・・・

ポール・マッカートニーポール・マッカートニー
(1995/11/08)
ポール・マッカートニー

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夢の翼~ヒッツ&ヒストリー~夢の翼~ヒッツ&ヒストリー~
(2005/09/30)
ポール・マッカートニーウイングス

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公式海賊盤公式海賊盤
(1991/05/25)
ポール・マッカートニー

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テーマ:洋楽ロック - ジャンル:音楽

「Tilt-shift」

ts003ts.jpg

上の写真はなんだと思います?

ジオラマ?っていう感じに見えませんか?

「Tilt-shift」という特殊な撮影方法があります。

これで撮影すると、ミニチュアのように写真が見えます。

因みに、上の写真は、今年の夏に行った、プールの写真。

元の写真はこれ。

ts003.jpg

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

他にもこんなのを・・・・

ts001ts.jpg

元画像。

ts001.jpg

ts002ts.jpg

元画像。

ts002.jpg

普通は、そういう特殊なレンズを使用して撮影するのですが、簡単に出来るサイトを見つけました。

で、適当にピックアップして「Tilt-shift」してみました。

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このサイトで簡単に出来ます。

ご自分の写真をアップロードして加工してみてください。

http://tiltshiftmaker.com/


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動画なんかも撮れたら楽しいですね・・・・








鉄瓶のすすめ

以前から「鉄瓶」でお湯を沸かしている。

理由は、鉄分を摂取するため・・・

「チンチン」という擬音でお湯が沸くのを表現するのは、鉄瓶だけに許された表現。

本当に「チン!チン!」て鳴るのが楽しい。

インスタントコーヒーも、一杯分をこれで沸かす。

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取り扱いは、使用後に完全にお湯を切ることと、取っ手も熱いので、注ぐときに布巾などが必要。

お湯が残ると、もったいないと、残った水で錆びるので、少ないお湯で。

早く沸くしね。

必要なだけカップにお水を入れて、それを鉄瓶に移して火にかけるのが僕流。

注いだあとは、蓋を開けて置いておけば、残った熱で水気は無くなります。

・・・・・・・・・・・・・・

カップ一杯丁度のお湯なので、当然、注ぐときはかなり傾けることになります。

この記事を書こうと、コーヒーにお湯を入れている写真を撮ろうとしたとき悲劇は起こった・・・

で、シャッターを切る瞬間、熱くなってる鉄瓶の蓋が僕の指に・・・・

おまけに熱い湯気が手に・・・・

(モワっとした湯気が熱そう・・・てか、熱かった)

鉄瓶の蓋が・・・


「ウギャー」

と、同時に、

パチリ。

携帯カメラの手ブレ防止機能が効力発揮してしっかり撮れてますね・・

・・・・・・・・・・・・・・

鉄分摂取で痛みを摂取。

体に良いのか悪いのか・・・・・

布巾をもう一つ用意して、蓋を押さえて注ぐのが安全策。


これ、動画にしておけば、かなりパニクっている僕が見れたはずです・・・


他にも高級なのもあります。

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加藤和彦さん・・・・・

ニュースを見ていたら・・・・・

音楽家の加藤和彦さん死亡か」の見出し。

疑問系の見出しだったが、記事にはすでに亡くなられた報告が記載されていた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

三、四歳の頃、当時住んでいた愛媛の町で迷子騒動になったことがある。

僕は、新しく出来た友達の家へ行っていた。

親に、新しい友達のことを言っていなかったので、遅くまで帰らない僕を心配して、心当たりに僕が居ないのを心配した親は警察に連絡。

何も知らない僕は呑気に、

「おらは死んじまったダー♪」

と、当時の流行歌を歌いながら帰宅。

家の前の警察官が僕を見て飛んできて、ビックリして泣いたのをかすかに覚えている・・・

僕の記憶にある、初めて歌ったであろう、一番古い記憶の流行歌が、加藤和彦さんひきいるザ・フォーク・クルセダーズの「帰ってきたヨッバライ」だと思う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

中学時代、友達から教えてもらった『あの素晴しい愛をもう一度』も好きな曲だったし、サディスティック・ミカ・バンドも好きだった。

これは、京都だったので、加藤氏の人気が高かったのかもしれないが・・・

安井かずみさんとの作詞作曲コンビで数多くの作品を発表した。

その一連の作品の中で、このブログで紹介出来ているのは岡崎友紀さんだけなんですが・・・

竹内まりあさんなどの紹介で登場する予定だったのに・・・なんか、あまり加藤氏に関わる記事を書く気がしないだろうな・・・

コンポーザーとして、このブログで時々加藤氏のことを書くことはあると思ってはいたが、このような形で氏の訃報のことを書くとは思わなかった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

フォーク、ロック、J-POPといったひとつのカテゴライズされた見方には収まりきらないミュージシャンである加藤氏。

数年前のキムラカエラをボーカルに迎えた「サディスティック・ミカエラ・バンド」も結構よかったのに・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

気の利いた言葉も見つかりませんが、氏の冥福を祈ります。

『あの素晴しい愛をもう一度』加藤和彦と北山修



『純情』吉田拓郎 ・ 加藤和彦



『タイムマシンにおねがい』サディスティック・ミカエラバンド






テーマ:音楽 - ジャンル:音楽

DS版「マスターの独り言」

DS版「マスターの独り言」

僕はゲーム機はプレステ2以降の機種は持っていないのですが、なんと僕のゲームが出ます。

ニソテンドーDSジェネレータ



・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ゲームの内容は、

(シュミレーションモード)

ここは倉敷にあるバーCHEER DOWN。

ひょんなことから、プレーヤーは、先代のマスターからCHEER DOWNを引き継ぐ。

毎日やって来る、いろいろな悩みや悲しみ、喜びを抱えたお客様の話を聴き、お客様にあったお酒を提供します。

お客様にピッタリのお酒を提供した場合、代金が頂け、人気度が上がります。

ピッタリのお酒やカクテルを作るため、勉強も必要。

人気度が上がると、口コミで来客が増え、収益も増えますが、人が増えると様々な人間模様や事件が発生。

収入を増やし、従業員を増やし、大手のバーを目指すか?

それとも、なじみのお客さんと会話を楽しむ、まったりとしたバーを目指すか?

あまり収益にこだわったり、使えない従業員を雇うと、マスターはストレスでダウンすることも・・

といって、暇すぎるとお店の維持が出来ない。

新しいカクテルを作ったり、フードメニューを開発したり、仕入れをしたり。

仕事以外にも趣味を楽しんだりと、意外と忙しいバーのマスターです。

・・・・・・・・・・・・・

(アドベンチャーモード)

そんなある日、酒瓶の奥から、先代が残したと思われる謎の暗号が・・・・

暗号を解き、幻のお酒を見つける為に倉敷からスコットランド、ロシア、ジャマイカ・・・

舞台は世界へ。

ついでに世界中でレコードを収集したり、それが意外な展開を見せたりと・・・

お酒の知識だけでは解けない難問や難事件(ミステリーモード)。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

うーーーん、楽しそうなゲームだね。

みんな、今月末の発売らしいから買ってくれよ。

ニソテンドーDSジェネレータ



上のAmazonのアイコンをクリックしてみてちょ。

ね、今月末発売って書いてたでしょ?

・・・・・・・・・・・・・・・・

へへ、実はこれ、このサイトで作りました。

ニンテンドーDSジェネレーター」。




ベイビー・カムバック / プレイヤー

78年1月、ビルボード1位を獲得。

プレイヤーの「ベイビー・カムバック」である。

ベイビー・カムバック シングル




携帯で見る。

当時日本は、映画「サタデー・ナイト・フィーバー」で「フィバっていた」。

ラジオを点ければビージーズ。

そんなビージーズを撃沈したのが、この「ベイビー・カムバック」 。

それでもそれは海の向こうの話。

日本はフィーバー真っ盛り。

日本ではフィーバーの間のスマッシュヒットのような感じだった。

映画とサントラの起こした社会現象にはどうしてもかすんでしまった。

あまりフィバっていなかった僕は、古いビートルズを聴いていた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

当時、まだ「AOR」という言葉が無い頃、彼らに対して「ウエストコースト」だとか、「イーグルス以来の・・」などという言葉が使われていた。

また、同時期のホール・アンド・オーツなどとも比較されていたが、当時のタダで貰ったサンプル盤を聴いて、判ったような評論をしている評論家を僕は信じない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

僕はプレイヤーに対して感じたのは、やはりパワーポップである。

イーグルスなどのホワイト・アメリカン独特の「根っこがカントリー大好き」という空気がプレイヤーには感じられないからだ。

アメリカのロックと言っても、キッスやエアロ、ハートなど、ビートルズがアメリカで旋風を起こした後に音楽始めましたという世代はベクトルがイギリスに向いているのだけど。

それらと似たような感じのものを僕は彼らに思っていた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ギタリスト兼、ボーカルのピーター・ベケットはリバプール出身だった(やっぱり)。

4年程、パラディオンというビートルズの影響を受けた地元バンドで活動。

ロンドンへ移り、フレンドというバンドに参加。

その後バンドはアメリカへ。

メンバーチェンジを繰り返し、スカイバンドと改名。

RCAレコードと契約、デビューとなる、が、しばらくしてバンドは解散。

テキサスはガルヴェストン・ベイ出身のジョン・チャーチル・クロウリーとベケットは出会い、意気投合。

クロウリーもまた色々なバンドで腕を磨き、プレイヤーにとって重要なソングライターとなる。

ドラマーのジョン・フリーゼンはアイダホ生まれ。

70年から6年間、アイス・フォーリーズという60人の女性アイススケーターと4人のミュージシャンによるショーのドラマー兼プロデューサーをやっていたらしい。

キーボードのウェイン・クックはロサンゼルス出身。

ダディー・ウォーバックス、バズーカ、オズモンズ、ステッペン・ウルフ等のレコーディングやツアーに参加し活躍していた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

プレイヤーはデニス・ランバートとブライアン・ポッターのヘヴン・レコードからデビュー、が作品発表の前に会社が倒産。

デニス・ランバートとブライアン・ポッターは彼らをRSOに移籍させる。

78年ヘヴンの時には出来ていたファースト・アルバム「PLAYER」が発表になる。

このファーストは上記の理由で、プロデューサーがデニス・ランバートとブライアン・ポッターである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これを知ったとき、僕の彼らに感じていたパワーポップ感というのが間違いではなかったと思いました。

僕がシングルは曲が短いというのを知り、後でアルバムを購入しようとしたときは、既にオリジナルアルバムは廃盤。

で、手にした当時の唯一のアルバムがこれ。

アナログのベスト



日本で編集したアルバムなんでしょうが、プレイヤーをおしゃれなバンドにしたいのか?というジャケットとアルバムタイトル「ドリーミン・オン・ザ・ビーチ」。

わたせいぞう氏の漫画にかぶれた、「女性を口説くのに半年前からクリスマスの準備をする男」のよろこびそうなジャケットに仕立てられているのにショック。

正直、このレコードをレジに持っていくのが恥しかった・・・・帯の文句が余計はずかしい・・

彼らをチープ・トリックあたりのような売り方にすれば、もっと根強い人気が出たと思う。

上記に述べた、オシャレさんたちが女性を口説くのに「使える」レコードとして購入したのでは、他の「使える」アーチストが出たら、そっちへ行ってしまうのだし・・・

「ホール・アンド・オーツ」あたりと比べられたのも、この「使える」が影響している気がしてならない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

CD時代になり、1991年、プレイヤーのベストがCDでありました。

CDのベスト



PHCR-2088

「キッスと同じ、マーキュリーの帯なんだな・・」

と思ってたら、80年に彼らはカサブランカレコードに移籍していました。

このCDも絶版状態。

ネットでも中古が販売中。

CDには僕の好きな「メラニー」が入っていない。

出来ればオリジナルアルバムを復刻してほしいバンド。

「Baby Come Back」

携帯で見る。

「Silver Lining 」

携帯で見る。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

当時は「プレイヤーが好き」というと軟弱に思われたが、今は胸を張って「好き」と言える。

ベイビー・カム・バック~ベスベイビー・カム・バック~ベス
(1994/04/25)
プレイヤー

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輸入盤のベスト。

Baby Come Back: The Best of PlayerBaby Come Back: The Best of Player
(1998/11/17)
Player

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マイブーム「しまほっけの定食」

先日、いつもなら昼頃に行くジム&プールに早くに行きました。

ジムに行くと、CHEER DOWNの近所に住んでて、時々来てくれるYくんに会う。

ジムでメニューをこなし、お昼を一緒にしようと約束して僕はプールへ。

待ち合わせは、彼の家の前。

僕は自転車だったので、猛ダッシュで帰る。

「なにを食べる?」

訊くと、僕がよく行く定食屋の名前を言う。

彼もよく行くらしい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

僕は最近、ここへくるとこれ。

しまほっけの定食

「しまほっけの定食」

しまほっけ

写真では判りづらいですが、結構大きくて脂も乗っている。

彼は「きつねうどん定食」を注文。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

久しぶりに会うYくんと話もあり、僕がお気に入りの喫茶店へ。

久しぶり・・・・

Yくんは地元なんだけど、

「こんな路地にこんなお店があるとは・・」

と関心しながら、店内の沢山の時計に目をやっていた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

話がはずんだのだが、自分が徹夜だったので早くからジムに行っていたことに気付く。

自宅に帰り、少し休んで仕事に出かけました。






マジック・クリスチャン・ミュージック / バッドフィンガー

アイビーズ名義「メイビー・トゥモロー」の失敗。

アップル側は彼らになぜかグループ名の変更を要求する。

確かに「アイビーズ」では「ホリーズ」の二番煎じで一昔前のセンス。

60年代末期のバンドにしては、らしくない。

ポール・マッカートニーは「ホーム」「マザーズ・ヘルパー」、ジョン・レノンが「プリックス」というバンド名を提案。

結局ニール・アスピナールの提案の「バッドフィンガー」に落ち着く。

これはビートルズの「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・マイ・フレンズ」の仮題「バッドフィンガー・ブギ」からとったものです。

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アップルはリンゴ・スターの出演映画「マジック・クリスチャン」に、バンド名を改名した「バッドフィンガー」のナンバーを押し込む。

タイトル曲は、ポール・マッカートニーの書いた「カム・アンド・ゲット・イット」。

-「ザ・ビートルズ・レコーディングセッションズ」ポール・マッカートニーのインタビューより-

「前略・・・・ビートルズのセッション前に20分ぐらいで作ったんだ。・・・・・中略・・・・・・メリー・ホプキンの「グッバイ」のデモも録ったんだけど、、これが両方ともいい出来だった。

だからバッドフィンガーにはこう言ったよ。

「いいかい、このデモはすごくいいから、何もいじらないでこれをそっくりそのままコピーするんだ。

人がやったのをコピーするだけじゃ物足りないかもしれないが、これはヒット・サウンドだ。

このとおりにやれば大丈夫、必ずヒットする。

どうせ誰にもわからないさ。もし何か言われたら『うん、ポールがアレンジしたんだ。でも別に構わないだろ』って言ってやればいい」。

(このポールのデモの2曲のうち「カム・アンド・ゲット・イット」はビートルズの「アンソロジー3」で聴けます)

このように、「バッドフィンガー」がアップルに求められたことは、絶対的なヒット曲である。

バッドフィンガーも、前作の失敗があるので、この要求を呑み、ポールのデモをそのままなぞるようにコピーしました。

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この曲は期待通り、全英で4位。全米で6位(7位というデータもあるが)というヒット。

シングル マジッククリスチャン

同時期にアルバム「マジック・クリスチャン・ミュージック」を発売。

マジック・クリスチャン・ミュージック 表

名義こそ「バッドフィンガー」だが、録音はアイビーズのメンバー。

収録曲も、アイビーズの前作から6曲を収録。

結果、6曲はトニー・ビスコンティーのプロデュース。

7曲がマル・エバンズのプロデュース。

1曲がポール・マッカートニーというものになっている。

前作は日本、ドイツ、イタリアだけの発売だったので、本国ではかまわないということだろう。

シングルヒットを飛ばし、アルバムを売る必要が、財政難のアップルにはあったのだ。

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メンバー交代

このアルバムの発売直前に、ベースのロン・グリフィスが(イビり出されて)脱退。

代わりに、日本でもレコードを出していた、元ゲイリー・ウォーカー&レインのギタリストジョーイ・モーランドが加入。

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スプーキー
右から二番目がジョーイ。


孤独な影
左下がジョーイ。

(日本でも人気が高く、未だに「ウォーカー・ブラザーズ」のファンサイトも多い)

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ギター、ボーカルのトム・エヴァンスがベースにシフト。

急な交代劇で、アルバムの裏ジャケットにはジョーイを除く3人のみの写真。

マジック・クリスチャン・ミュージック 裏

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ビートルズの弟バンド

バッドフィンガーのジョーイもトムもリバプール出身。

ピートはウェールズ、ビートルズに感化されバンドを始める。

同時期のロンドンで流行のブルース・ロックではなく、あくまで手本はビートルズだった。

彼らの音楽はビートルズというより、ポール直系の素直なポップである。

ビートルズにはジョンという、良い意味での「毒」が作用して、ビートルズを単純なヒットグループにはしていない。

セプンスを強調した「アイ・アム・ザ・ウォ。ラス」や、「ドント・レット・ミー・ダウン」のように歌詞に無理に符割りして出来る変拍子などの「毒」はバッドフィンガーには無い。

この後訪れるムーブメント。

T-Reや、フリーやツェッペリン、いわゆるニューロックといわれる「子供には判るまい」的なロックのムーブメントに乗り遅れることになる。

(T-Rexはアイドル的だが、「毒」という部分の「非正等」さでは群を抜く。「呪術的な毒」と言ってもいいだろう・・・)


ジョーイのハードなギターの加入だけではこの辺の克服は出来なかった。

が、「アク」が強くない分、誰からも好かれた。

平均的な優等生という感じで、嫌う人間が居ない分、彼らに深さを問うファンが少なかったのが致命的な部分だろう。

「ビートルズの弟バンド」というレッテルは名誉のようであるが、既にビートルズは「アビーロード」を出して解散状態。

ムーブメントとしては古いものになりつつあった。

ジョンが「カム・トゥゲザー」で示した70年のロックの有り方を、バッドフィンガーが理解していればと思うが、それだと僕の愛するバッドフィンガーではなくなるし・・・

ただ、数々残るライブの音源では、バッドフィンガーがいかにラウドなバンドだったかが判ります。

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メンバー交代の話をしましたが、このアルバムではジョーイは無関係。

僕も名義はバッドフィンガーになっていますが、「バッドフィンガー」として実質のファーストは次の「ノー・ダイス」と思っています。

マジック・クリスチャン・ミュージック(紙ジャケット仕様)マジック・クリスチャン・ミュージック(紙ジャケット仕様)
(2005/02/23)
バッドフィンガー

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1.マジック・クリスチャンのテーマ
2.クリムゾン・シップ
3.いとしのアンジー
4.フィッシャマン
5.ミッドナイト・サン
6.美しく青く
7.ロック・オブ・オール・エイジス
8.明日の風
9.愛のとりこに
10.雨の散歩道
11.アンジェリーク
12.ノッキング・ダウン・アワ・ホーム
13.ギブ・イット・ア・トライ
14.メイビー・トゥモロウ

ボーナス・トラック
15.ストーム・;イン・ア・ティーカップ
16.アーサー

「Come And Get It 」

携帯で見る。

このクリップでピートのしている腕時計。

アップルのプロモーション用に50個だけ作られたという幻のアップルウォッチです。

アップル腕時計


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ここまで本作をあまり誉めたよう書いていませんが、それでも、注目すべき曲が他にもあります。

シングル 明日の風

邦題「明日の風」。

原題は「Carry on Till Tomorrow」。

映画「マジック・クリスチャン」にも挿入されたセンチメンタルな曲。

このシングルは日本独自にシングルカットされヒットしました。

カップリングが「ウィズアウト・ユー」となっているところから、次の「ノーダイス」発表以降にシングルカットされたんだと思います。

「Carry on Till Tomorrow」


携帯で見る。

その昔、結構ラジオで鳴っていました。

初期のバッドフィンガー(実質アイビーズ)では好きな曲です。

僕はピートのほうが好きなのですが、トムのボーカル曲では一番好きな曲です。

どこまでも美しい、特に間奏のギーターの美しさ・・

まだ、トムがクローズアップされる曲はあまり紹介してていませんが・・・・

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パワー・ポップ、ハード・ポップの祖として「バッドフィンガー」を紹介していますが、ここまではまだハードさには欠けます。

ビートルズ・ファンが「カム・アンド・ゲット・イット」聴きたさに購入して、いまいちの感じがしたのは、このアルバムでは本領発揮出来ていないからです。

が、アップル側の彼らに与えた使命「ヒット・シングルを出す」は達成されました。





メイビー・トゥモロー / アイビーズ

僕が愛してやまないバンド、バッドフィンガー。

ビートルズのアップルからデビューしたがために、ビートルズの影に隠れてしまった。

そのうちのメンバー二人は自殺。

悲劇のバンドといえば、アメリカなら「レイナード・スキナード」、イギリスなら「バッドフィンガー」ではないだろうか?

ちゃんと彼らのディスコグラフィーを書いていないのに今更気が付く。

ただ、今更彼らのディスコグラフィーを書いても、彼らのアップルでのオリジナル作品は既に絶版状態。

チープ・トリック、ナック、数々のバンドが「パワー・ポップ」の元祖として、バッドフィンガーをリスペクトし、またカバーています。

ビートルズの華々しい話題を友達と話していて楽しいのですが、唯一悲しくなる話題が彼らのことです。

10月4日、マイク(自殺ではない。2005年10月4日に死去)の命日に、ちゃんと世間に、このすばらしいバンドをと、改めて彼らの傑作を聞きながら書いてます。

再度、彼らの作品が陽の目を見ることが出来るのを願って・・・

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バッドフィンガーの原形であるアイビーズ(The Iveys)は1964年に結成された。

ピート・ハムは当時17歳。

バンド名はホリーズのHolly(ヒイラギ)にならって、Ivy(ツタ)から付けられた。

ギターはデイビッド・ジェンキンズ、ベースにロン・グリフィス、ドラムにマイク・ギボンズ(ギビンズ)。

と、ピート・ハム、ギターである。

彼らに目を付けたのは、キャバーン時代のビートルズと親交もあったビル・コリンズ。

ビルはマネージャーではなく、パートナーを望み、彼らに献身的であった。

ジェンギンズが辞め、オリジナルも書いていたトム・エヴァンスが加わり、67年にデモを作成。

ビルはマル・エヴァンス(ビートルズの元ローディー、アップルの重役)をたより、アップルへデモを持ち込む。

マルはこれを気に入り、トニー・ビスコンティーのプロデュースでシングル「メイビー・トゥモロー」が1968年に発売。

メイビー・トゥモロー シングル

(左からロン・グリフィス、トム・エヴァンス、ピート・ハム、マイク・ギビンズ)



携帯で見る。

このシングルの出来は良く、アップルも大いに期待。

が、アメリカでチャート51位。

イギリスではチャートインせず。

そのため、並行して製作されていたアルバム「メイビー・トゥモロー」は英米ではオクラ入り。

日本、ドイツ、イタリアだけで1969年にリリース。

このおかげで、アップル関連では一番レアなアイテムとなりました。

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昔、中古レコード店で、帯付きの同レコードを7万円で見かけました。

ビートルズのブッチャーカバー並みのプレミアでした。

下は紙ジャケットCD。

メイビー・トゥモロー 紙ジャケCD

メイビー・トゥモロウ(紙ジャケット仕様)メイビー・トゥモロウ(紙ジャケット仕様)
(2005/02/23)
アイビーズ

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1. シー・ソー・グランパ
2. 美しく青く
3. いとしのアンジー
4. シンク・アバウト・ザ・グット・タイムス
5. 昨日はもどらない
6. フィシャマン
7. メイビー・トゥモロウ
8. サリ・ブルー
9. アンジェリーク
10. 愛のとりこに
11. ノッキング・ダウン・アワ・ホーム
12. アイヴ・ビーン・ウェイティング

(ボーナス・トラック)
13. ノー・エスケイピング・ユア・ラヴ
14. ミセス・ジョーンズ
15. アンド・ハー・ダディーズ・ア・ミリオネイア
16. ルッキング・フォー・マイ・ベイビー

このCDが再発されたとき、日本より、英米のコレクターが飛びつきました。

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僕自身、ビートルズファンだったので、気になっていたグループ。

「バングラデシュコンサート」で、「ヒア・カムズ・ザ・サン」をジョージの横でギターを弾くピートしか知らなかった。

というか、CDが出るまで、バッドフィンガーの音源は幻。

91年2月に「デイ・アフター・デイ・ライヴ’74」が出るまで音をあまり聞いたことがなかった。

同年7月にアップルより後のワーナー盤2作が、同ライブ盤の好評によりCD化。

92年にアップルからオリジナル盤4作品、ベスト1枚、アイビーズ名義の本作の計6作品をリリース。

ですから、僕が70年代の伝説のバッドフィンガーをやっと聴くことができ、好きになったのは、グランジ真っ最中のころでした。

(それまでにビートルズのアナログのブートで、「カム・アンド・ゲット・イット」がなぜか入っていて、それだけは聴いたことがありました。ビートルズのブートにポールの「カム・アンド・ゲット・イット」ではなく、彼らのが入っているということからも、バッドフィンガー自体80年代は音源がレアだったことが伺えます)

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特に紙ジャケット(日本限定)が出たときは、この帯つきのCDを海外のコレクターがホームページで自慢しているのを見かけました。

英米のファンにとっては、初めてとなる伝説のアイビーズの音源ですからね。

実は、アップルの一連の作品(メリー・ホプキン、ジャッキー・ロマックス、バッドフィンガーetc)の紙ジャケットの販売は日本だけです。

アップルのビートルズ以外の作品が紙ジャケで販売されたのは、奇跡といっても過言ではありませんでした。

まだ、アップルは裁判が続いているものがあるのか、これら一連の作品もあっというまに販売して、現在絶版状態。

僕はビートルズも大好きなのですが、どうしても、世界中が応援しているビートルズより、彼らを応援してしまいます。

コンポーザーとしても、メンバー全て(後に加入するジョーイ含めて)優れているし、なぜこれほどのグループがもっと注目されないのか判りません。

マライヤやの歌う「ウイズ・アウト・ユー」がニルソンではなく、彼らがオリジナルなのは知ってますよね・・・

ビートルズのファンには聴いて欲しいアイテム。

ビートルズがなぜ彼らを可愛がったのか判って欲しい・・・

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アイビーズが躍進するには、次のステップ。

バンド名変更とメンバーチェンジ、ポール・マッカートニーからの楽曲の提供まで待たないといけない・・・・





14.「次元パトロール」

次元パトロール

「次元パトロール」

マーウィン・ジュニア作 / 中上 守 訳・原田維夫 絵


同出版社では挿絵を替えて版を重ねています。

イラストは山田 卓司さん。


次元パトロール (冒険ファンタジー名作選(第1期))次元パトロール (冒険ファンタジー名作選(第1期))
(2003/10/15)
サム・マーウィン・ジュニア

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あらすじ

あるとき、ある場所で、世界が―時間と空間が、とつぜん二つにわかれる。

そのわかれめがうまく見つかれば、別の時間の別の世界にいけるかもしれない。

そしてこちらの世界にないものを、あちらの世界からもって帰ることができるかもしれない。

マックとエルスペスは週刊誌「ピクチャー・ウィーク」の特派員。

すでに無くなった灯台が、時々現れるという島の噂を聞いて取材に出かけた。

その灯台が現れてた後は良くないことが起こるという話らしい。

二人はその灯台が出るという島へ渡る。

二人を闇が包む。

島にあるやしきにたどりつくと、一人の少女が、

「エルスペス・マリナーさんとマック・フレーザー」さんですね。どうぞお入りください」

驚いたことに、二人の名前を知っている。

やしきの主人、オレーユの前に通された。

オレーユの話とは?

二人の冒険はここから始まった。

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感想

最初は、海外の歴史的なこともあるので、とっつきにくいかな?

と、思いましたが、あっという間に読め、楽しかったです。

もっと小さい頃、「多元宇宙」という概念のないころに読めればどんなに楽しかったことでしょう。

「多元宇宙」のなりたちは、この本では語られません。

登場人物の知恵、勇気、信頼などがポイントとなっているお話。

原作はもう少し、スリラー仕立て。

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サム・マーウィン・ジュニア

(Samuel Kimball Merwin Jr., 1910年4月28日-1996年1月13日)

1940年、マーウィンは最初の作品Murder in Miniatures(ミステリー小説、未訳)を出版した。

1945年から51年の間、彼は「スタートリング・ストーリーズ誌」と「スリリング・ワンダー・ストーリーズ誌」の編集長としてSFの分野でのみ有名になった。

当初、マーウィンは前任の編集長オスカー・J・フレンドから受け継いだペンネームの「土星軍曹」("Sergeant Saturn")として、後には単に「編集長」("Editor")として活動した。

彼の正体は一般読者には6年間も未知のままに保たれた。

彼はまた1950年から51年の間、「季刊ファンタジック・ストーリー誌」の編集も行なった。

自由契約の作家になるために、マーウィンは1951年に編集の職を辞した。

しかし彼のミステリーとSFの本は、商業的にも評論的にも、控えめな成功を見たに過ぎなかった。

SFブームの只中であった1953年、彼は短期間「ファンタスティック・ユニヴァース誌」の編集に携わった。

そして1953年から54年には「ギャラクシー・サイエンス・フィクション誌」の副編集者を務めた。

本書は 『多元宇宙の家』(1951年)を児童向けにしたものです。

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中上 守

(なかがみまもる)

1930年東京に生まれる。

主として、英米文学の翻訳に従事。

少年文芸作家クラブ会員。

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原田維夫

(はらだつぐお)

1939年生まれ

生地:東京

氏の版画などはよく目にすると思います。

今回の作品、版画による挿絵。

非常に好きな挿絵でした。




テーマ:読書感想文 - ジャンル:小説・文学

ナイター横丁夢物語 FRIDAY NIGHT, SMALL SET Vol.57

[高画質で再生]



↑neyaくん。

[高画質で再生]



で、僕。

二人して動画アップ。

暇だね・・・・・

webカメラなので、コマ送りのような動画です・・・

遅くにyuriちゃん。

yuriちゃん




イマジン / ジョン・レノン

イマジン シングル

1971年に発表されたジョン・レノンの代表曲。

正直、この曲を今年、ジョンの誕生日に取り上げるとは思わなかった。

僕は、この誇大妄想的な歌より、同じアルバムなら「ジェラス・ガイ」のほうが好きである。

こういうことを書くと、狂信的なジョン・レノンファンは僕に腹が立つだろう・・・

だが、僕も熱狂的なジョンのファンである。

「大好き」という前提での文章としてお付き合い願いたい。

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-「ザ・ビートルズ・レコーディングセッションズ」ポール・マッカートニーのインタビューより-

ポール「前略・・・ジョンが死んでから-これは自然なことだから世間を責めるわけにはいかないけど-彼は殉教者だと言われるようになったよね。
でも彼はそんなものになりたがってはいなかった。
ジョンが死んだ日に聞いたインタビューで、彼はこう言っていたんだ、

「僕はいまいましい殉教者なんかになるつもりはないのに、みんなが僕を殉教者にしたがるのさ。
『僕はまっぴらだよ。おやすみ』って奴らに言ってやりたいね」。

でも結局はこうなってしまった。僕(ポール)が死んだら、やっぱり僕のいい面ばかりがクローズアップされて、「彼はあの曲を1テイクで録ったんだってさ。なかなかやるじゃないか」とかなんとか言われるんだろう・・・・・・後略」

僕は、このポールのいう「殉教者」(ここではジョン)の讃歌が「イマジン」に思えてしかたない。

しかも、ジョンのなりたくない「殉教者」に、故人の身内が扇動しているように映るのが今まで気に入らなかった・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

僕の周りでも、

「ジョン・レノンて、「愛と平和」のために奥さんのヨーコさんと戦ったんですよね?ヨーコさんがテレビで言っていました。ライブでみんなで歌っていた「イマジン」がよかったです・・・」

というようなことを時々聴きます。

かくいう僕も、こうやってジョンの誕生日に彼の記事を書いて、扇動しているのかもしれない・・・

毎年、彼の命日には、奥さんヨーコの音頭で「愛と平和」のイベントが定着してきた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

こう書くと、遠まわしにヨーコさんを非難しているようだが、

実は、アーティスト「ヨーコ・オノ」は好きだし、彼女のアルバムも持ってる。

そこらの「ヨーコ肯定派」より、彼女のアルバムは持っていると思う。

彼女がビートルズのスポークスマンに知らぬ間になっているのに「???」だった。

「オノ・ヨーコが認めたビートルズのコピーバンドのライブがあるよ。行かない?」

と、言われ、

「なんだそりゃ?ヨーコ=ビートルズなのか!!」

その昔、ビートルズ時代のジョンの曲を、勝手にCMに使うことを許可して一悶着も起こしたりした。

こういうところが理解できず、

「彼女だけで活動すれば、大好きなのに・・・」

と、勝手に思っていた。

が、最愛の夫を無くしたのである。

ジョージの妻、オリビアのようにひっそりと静かにしてる人もいる・・・

自分がヨーコだったらどうだろう?

彼女の気持ちが判らなくでもないと思いはじめ、以前ほどこのイベントや、この曲に嫌悪感を抱かなくなった。

自分の最愛の夫を常に感じていたい。

その結果が、みなの心にジョンの良い思い出を残したいという行動だったりするのでは?

と、思い出した。

それが自分が死んだ後も、何百年も後も、人に語り継がれるならなお・・・

こう思うと、ヨーコさんに「人間味」もしくは「女」を感じて、好きになった。

夫が「殉教者」になりたくなかったのは承知だが、自分の行動を抑えられない。

世界中の人にジョンの曲を・・・

僕が間違っているのかも知れないが、夫が「殉教者」になりたくないのに、彼の誕生日や命日を世の中に覚えてもらうためとも思えるイベントは・・・・

そうせずにはおれないという「女性」の「弱さ」というなら、僕は彼女を好きになる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2000年も前、同じようなことがあったのかもしれない・・・

その人を愛した人は、その人を愛するがゆえ、エピソードを少し誇張したり、「いい面ばかりがクローズアップ」され、後の人たちはそれを「奇跡」と呼び、クリスマスを特別な日として祝うようになったのかも・・・

今、ひょっとしたら、こういう歴史が作られている瞬間を見ているのかもしれない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

で、「イマジン」に戻しますが、

ファンは、この曲を「ジョンの言葉」として聴いてます。

実は、この曲の歌詞は、ヨーコの詩集「グレープフルーツ」の中にある詩「ツナフィッシュ・ピース・サンドウィッチ」にある「想像しなさい、千の太陽が一辺に昇る所を…」というくだりがあり、ジョンは、オノ・ヨーコの詩集「グレープフルーツ」から拝借したと語っている。

本曲の作詞者にヨーコの名は加えられていないが、後にジョンは「あの当時は自分勝手で男性的だった」とヨーコを署名に加えなかったことを恥じていたといいます。

自分勝手な男が歌う、平和の讃歌って・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

最初に僕が同じアルバムの中の曲なら「ジェラス・ガイ」が好きだといったのはこの辺のこともあります。

また、この頃のジョンは、あまり誉められたことをしていませんし、僕にはこの曲が等身大の彼の言葉に聞こえなかったのです。

もう少し複雑な英語の歌詞なら、意味も判らず、曲の美しさだけを楽しめましたが・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

最近、ジョン・レノンやボブ・マーリーなどのミュージシャンの(子供用の)伝記が書店に並んでいたりします。

先のポールが述べた「いい面ばかりがクローズアップされて」います。

この(子供用の)伝記を読んでも、ジョンのエピソードの『失われた週末』は出てきません。

こうして、活字になり、子供たちに話は伝わり「殉教者」になるのでしょう・・・

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彼を「殉教者」に奉り上げようとする人は、キリストを売ったユダと同じように、ジョンを撃った犯人の名も即答できるのでしょう・・・

ジョージの方が、実は壮絶な死を遂げているのですが、ジョージを刺した男の名前を知っている人は少ない。

ジョージが刺されたことも知らなかったり・・・

これは、ジョージを「殉教者」にしようとする力が働いていないからだと思います。

ジョンを撃った男もまた伝説になりつつある。

彼は狂信的なジョンのファンだった。

ヨーコは「愛と平和」のために請願にて収監期間を延長してもらい、その男に塀の向こう側にいてもらうことを望んでいる・・・

「殉教者」ジョン・レノンを撃ったのでなければ、もう塀の外に出ているだろう。

ジョンが「特別」と認められたから請願も受け入れられたと思うし・・

請願を出したほうも「特別」ということを訴えたのだろうし。

・・・・・・・・・・・・・・・

皮肉にとられたらスミマセン。

が、非常に好きなアーチストです。

「イマジン」のような世界になればいいと思いますが、やはり町には警察に居て欲しいし、これが町ではなく国になれば・・・

「イマジン」のような歌詞のことを言わなくてもいい日が来れば、それこそ真のユートピア。

それもいいと思っている自分もいるとも気付かしてくれました。

こういう、矛盾の議論のぶつかり合いこそ、人間のすばらしいところだと思う。

あくまで議論のぶつかり合いを望むのであり、感情のぶつかり合いを望んでいるのではありません。

ま、こういうことを語るとイデオロギーの話になるので、僕がかならずしも正しいとは思いませんし、反対意見が正しいとも思いません。

この曲が僕にこういうことを考える機会を与えてくれるのは非常にいいことだと思っています。

最近は、普通に歌えるようにもなったしね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

なにやら、誤解を招きたくなく、言い回しが長々となりスミマセン。

最初に言ったでしょ。僕が大好き前提の文章だって・・





日酒販 提案会 2009

昨年も行った「日酒販 提案会」

今年も行ってきました。

今回は特に紹介するお酒がないので、カテゴリは「出来事」へ。

日酒販 提案会 2009


「紹介するお酒がない」といいましたが、美味しいのが無かったのではないんです。

早い段階から、一緒に行った「スーラバー」のりゅうくんと焼酎を・・・

途中、桃のお酒や梨のお酒も美味しかったのですが、その時点で結構酔ってて、写真も撮っていません。

カタログはもらっているので、また紹介できればいいと思います・・・

この日は、ずっと頭が痛かった・・・







カミング・アップ Coming Up / Paul McCartney

ComingUp

1980年初め、日本でポールが逮捕され、その後発売された「カミング・アップ」。

この逮捕されたとき、ポールと一緒に日本へ来た女性がいた。

福井ミカ。

元サディスティック・ミカ・バンドのミカさんである。

YMOは、アルバム「増殖」に収録された、「NICE AGE」の中に、来日したポールが大麻不法所持によって逮捕勾留されたことを、ニュース速報風に取り入れている。

その中に出てくる「Coming Up Like A Flower」は、この「カミング・アップ」で歌われているフレーズで、曲中でニュース速報を読んでいるのが福井ミカ。

本作の録音当時、イエロー・マジック・オーケストラはポール・マッカートニーとのセッションを予定していたが、来日したポールが大麻不法所持によって逮捕勾留されたため、セッションが不可能となってしまった。

その時のポールの妻リンダのメッセージが曲中のニュース速報である。

速報中で読み上げられる「22番」とはポールの拘置所内での番号です。

「NICE AGE」はYMOからポールへのメッセージ。

ポールからのメッセージは「マッカートニーⅡ」に入っている「Frozen Jap」だろうか?

まるでYMOのような曲である。



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ポールとミカの繋がりは、当然クリス・トーマスであります。

クリスとポールはビートルズの「ホワイト・アルバム」からの付き合いということになるのだけど・・・

バッドフィンガーのワーナー時代もクリスプロデュースで「Know One Knows」でミカさんがヘンテコな日本語喋ってる・・・

(友人は僕が、ピストルズやプリテンダーズを聞いているのを不思議にいうけど、クリス・トーマスつながりで昔は聴いていたんだよ)

ポールとクリスはビートルズ解散後だと「ロック・ショー(クリスの仕事の名ライブ盤)」あたりからだと思う。

で「バック・トゥ・ジ・エッグ」もクリスのプロデュース。

このアルバムの中の「ベイビーズ・リクエスト」はポールが親しくなったミカとの会話から生まれた曲です。

この頃はクリスとミカは同棲中で、ミカがクリスからの束縛を気に病んでいたとき、ポールから「愛のために自分をしばりつけておくことはない」とアドバイスされたそうです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

話は「カミング・アップ」に戻ります。

当時、この「カミング・アップ」を購入して、「なんだこれ?」って最初思いました。

高校生の僕がポールにイメージしていたのとギャップが大きくて・・・

が、聞き込むとなかなか楽しい。

プロモーション・ビデオは「The Plastic Macs」(プラスティック・オノ・バンドのもじり)なるバンドが同曲を演奏するというものだった。

B面の「カミング・アップ」(ライブ・バージョン1979年グラスゴー公演) 、「ランチ・ボックス~オッド・ソックス」も好きでした。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

このころ、ポールが使っていたYAMAHA BB-1200L。

いまだに人気のベースである。

1980年の来日公演決定の際にヤマハ社よりプレゼントされたもので、1979年の英国ツアーや「テイク・イット・アウェイ」PVなどで使用されている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ジョン・レノンもこの曲を気に入っており、インタビューで「ライブ・バージョン」よりスタジオ・テイクの方がぶっ飛んでて好きだ」と語っていた。

ジョンの再出発(スターティング・オーバー)のキッカケにもなったといわれれる曲です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

実は、ここ最近、ずっとポールのCDを機会をみては集めていました。

レコードは、アルバムなら「ヤァ!プロード・ストリート」まで持っているのだけど。

あーだこーだと語る前に聞いてから文句を言おうと思いまして。

いやー、いがいにウイングス後のソロもいいのが多い。

「フラワーズ・イン・ザ・ダート」や「フレイミング・パイ」など、もっと早く聞き込んでいればよかった。

で、もうほとんどフルコンプと思っていたのだけど、レコードはあるが「カミング・アップ(ライブ・バージョン)」が無い。

B面の「ランチ・ボックス~オッド・ソックス」はウイングスの「ヴィーナス・アンド・マース」にポーナス・トラックで収録されていた。

「ランチ~」がこの「ヴィーナス~」の頃のアウトテイクだったと今更わかった。

実は、アメリカではB面のライヴ・バージョンの方が1位を獲得しているため、米国版の『オール・ザ・ベスト』と『ウイングスパン』には「カミング・アップ」のライブバージョンが収録されている。

ということで、米国版の『オール・ザ・ベスト』を購入。

All The Best

右がUS盤、左はUK盤と同じ曲目の日本国内盤。
曲のイメージイラストが異なる。

どうも、レコードのほうが若干長いような・・・

無性に「カミング・アップ(ライブ・バージョン)」がCDで欲しくなったのだから仕方ない・・・

レコードをデータ化すればいい話なのだけど、僕のは結構スクラッチ音が・・

ということで、最近の無駄遣い・・・一曲の為に・・・

マッカートニーII

マッカートニーII
(1995/11/08)
ポール・マッカートニーウイングス

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以外に大好きなアルバム。
時々無性に聴きたくなる・・・・


All the Best

All the Best
(1990/10/25)
Paul McCartney

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オール・ザ・ベストオール・ザ・ベスト
(2000/10/25)
ポール・マッカートニーマイケル・ジャクソン

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曲目の違いは「商品明細」を見てください。






枚方 山くら デリバリー

日曜日、暇で小腹が空いたので、枚方の山ちゃんに、

「焼き鳥、出前でお願い」

ということで、その約二時間後、生の焼き鳥が・・・・

「フライパンで焼いて塩胡椒して食べてください」

とのこと。

さっそく頂く。

焼き鳥

美味しく頂きました。

出前だけ頼んだのは冗談。

山ちゃんがこちらに来る用事があったのと、僕も渡すものがあったので・・・

いづれにしてみ、久し振りに「山くら」さんの焼き鳥に舌鼓。

山くらホームページ





リアルブレーヤーSP

大抵のパソコンに入っている「リアルプレーヤー」。

正直、今まで使うことありませんでした。

以前から、

「バージョンアップしてくれよ~」

というメッセージも来ていたのですが無視。

先日、何を思ったか、バージョンアップしたら、その新しい機能にビックリでした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「動画をダウンロード」


バージョンアップしたら、ネット上にある動画の画面に「この動画をダウンロード」というメッセージが表示されていました。

その一

(この表示は後で説明しますが、設定で消せます)

ついでなので、ボタンをクリックしてダウンロード。

このとき、ダウンロードファイルは「マイドキュメント」の中の「マイビデオ」に「RealPlayer ダウンロード」というフォルダが作られ、そこに保存されます。

次にダウンロードが完了したら、変換も出来るような感じ・・・・の画面。

リアルプレーヤーだけでダウンロードした動画を見るならここまででもいいのですが、ついでですので色々なファイル形式にして、ゲーム機や携帯でダウンロードした動画を楽しみたい。

その二

複数同時にダウンロードして、一度に変換ボタンを押して放置というのも便利です。

ボタンを押すと、「コンバーター」が起動。

とりあえず、どのファイル形式に変換か選択します。

その三

ここで、変換した動画の保存先も指定してやれます。

その四

僕は「メディアプレーヤー」で動画を見ることが多いので、「Zune」を選択。

「Zune」とは、日本では未発売ですが、Windowsのi-podみたいな奴。

本音を言えば、「メディアプレーヤー」で見れるファイルにしておけば、後でDVDに焼けたりします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

MP3などもここで一発で変換出来るので、結構便利。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

このとき、「詳細」ポタンで画質なども調整できます。

で、

その五

これだけです。

保存したフォルダをあける場合は、右に出来たフォルダのアイコンをクリック。

その六

元の動画と同じところに保存すると、「どちらが変換済み?」と判らなくなるので、適当なフォルダを作って変換、保存がいいと思います。

(ブロパティー見れば判るのだけど、沢山いっぺんにダウンロードしたときが面倒)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

次に、最初の手順に出てきた「この動画をダウンロード」というメッセージを消したい場合です。

「リアルプレーヤーSP」を立ち上げます。

で、ツール→環境設定。

その八

左の「カテゴリ」の「ダウンロードおよび録音」をクリック。

その九

ここで、変換前の動画のダウンロード先も変更できますが、変更はしないほうがいいと思います。

「次のインストールされているブラウザでwebおよび録音を有効化する」

このチェックを外せば、動画の画面に「この動画をダウンロード」というメッセージは表示されません。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ここまでの作業を一つのソフトで出来るのは画期的。

先日まで僕は複数のソフトを使っていました。

これで、アニソンばかりをDVDにしたり、ディスコ特集のDVDを作ったり・・・・

MP3の音楽をまとめて作ったり・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

え?もう使っていた・・・・・

僕は最近気付いたので・・・・

なかなか最近重宝しています。


リアルプレーヤー無料ダウンロード

すでに「リアルプレーヤー」を持っている人は「ヘルプ」からバージョン情報を確認してください。

間違って「有料版」にしないように・・・・




ガッカリ

招待券

昨日、結構懸賞に応募している記事を書きました。

自宅に帰ると、またなにやら届いている。

あけると、このブログのFC2という会社から・・・・

以前、「がんばれ!と応援したい人・モノ」というテーマでトラックバック記事を書いたのだが、これが、映画「風が強く吹いている」の試写会ご招待のプレゼントつきだった。

そのブレゼントが当たった・・・・・

知らなかったのだけど、試写会は東京であるらしい。

がっかり・・・・・・

最近は、ビートルズのCD購入で、映画も倹約していたので一瞬喜んだのに・・・



大阪 王将

その昔、僕が、清く貧しく青春時代を京都で過ごしていた頃、近所の中華屋さなにあった「ギョーザライス」300円。

餃子一人前とご飯お代わり自由というものだった。

その日一日の食事が「ギョーザライス」だけの日は、食い溜めするため、餃子8個で、ご飯を五杯という日もあった。

たぶん、僕のために特別にこしらえてくれたメニューなんじゃないかと後で思う。

餃子一個で少しでもご飯が食べれるよう、ご飯の上に餃子を乗せて、その上からタレを掛け、餃子を潰して頬張る。

餃子二個で、ご飯一杯が軽い時代だった。

店のおじさんが黙って僕にスープを出してくれた。

以前「グーグルマップ」の記事を書いたとき、当時のアパートや、この中華屋さんが健在なのを見て泣けた・・・・・

最近、グルメ情報とかいって「B級グルメ特集」なんての目にするが、ああいうのを見ると僕はB級しか食べていないことになる。

僕の体はB級のもので出来ています・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

当時は京都なので、「京都 餃子の王将」がポピュラーだったし、僕もよく行った。

今回は「大阪 王将」の話。

その昔、この二店は「王将」の商標で裁判もあったが現在和解。

実は、京都にいるころは「大阪 王将」に行ったことがありません。

倉敷には両店ともあります。

「大阪 王将」は以前にあったところが潰れ、現在新しい店が近所に出来た。

以前のお店は印象が良くなかったのですが、この近所のお店はなにやら元気っポイ。

で、早速行ってみる。

メニューにあった「餃子定食」を注文。

常々、餃子がメインの定食があればいいのにと思っていたいた僕には嬉しい。

定食の中でも一番安かった。

餃子定食

餃子二人前とご飯(大盛り可)サラダ、スープである。

また餃子でご飯が食べたくなったら来たいと思う。

大阪 王将ホームページ

岡山県倉敷市老松町5-3-57
■TEL 086-435-9444
■営業時間
11:00~23:00
■席数 71席
■駐車場 有り(30台)


大きな地図で見る




テーマ:岡山県 - ジャンル:地域情報

2009年9月の成果 「クリアアサヒ」他

先日、ホームランバーが当たって今年の運を使い切ったという話はしました。

僕は仕事柄、お酒のメーカーなどのメルマガに登録して、記事や新製品の情報や、キャンペーンに応募したりしています。

また、アンケートでポイントを集めて商品券を集めたりと・・・

先月末、忘れたころに小包が届きました。

クリアアサヒ

どうもアサヒビールの「クリアアサヒ」のモニターに応募していたようです。

たぶん浅尾美和さんの笑顔につられたな・・・・



↑時間によって画像が変わります・・夜はお風呂あがりだったり・・・

クリアアサヒホームページ

浅尾美和さんの壁紙も頂けるので、よかったらどうぞ。

あまり「新ジャンル」は呑んだことがないのですが、当選した替わりにアンケートに答えなければならないらしい・・・

とりあえず、二本ほど冷やして「試飲」。

いきなり「旨い」とうそ臭いことは言えない。

ただ、メーカーのいう「クリア」という意味は判った。

汗をかいた後、グビグビ呑みたい新ジャンル。

「嗜好品」なので、味慣れしてしまえば定番になるだろう。

ダメなものは一口目からダメ。

この「クリアアサヒ」、全然おいしく呑めました。


アサヒ クリアアサヒ 350ml×24缶アサヒ クリアアサヒ 350ml×24缶
()
クリアアサヒ

商品詳細を見る


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

次に届いたのは・・・・

U.F.O ウスターソース

インスタント焼きそばの「U.F.O」のソース。


「U.F.O」ホームページ


「U.F.O」は以前も「U.F.O.スペシャル道場生証」が当たったりしたな・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これで来年の運まで使い果たしたな・・・・・




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