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『CHEER DOWN』はジョージの曲名からです。エリック・クラプトンが音楽担当した映画『リーサルウェポン』シリーズ。そのシリーズの『リーサル・ウェポン2 炎の約束』のエンディング曲でもありました。91年のクラブトンとの来日コンサートでも元気に歌っていたのが今でも忘れられません。実は『CHEER DOWN』という英語は存在しません。ジョージの造語なんです。『がんばって!』と掛け声を掛ける時に『CHEER UP !』と言いますが、ジョージは『無理をしなくていいよ』という意味でこの言葉を作りました。

マスターの独り言

ここは小さなバー、CHEER DOWN。マスターの日記です。

このページ内の記事タイトルリスト

ジョージ91年の来日直前。

1991年12月、日本だけでエリック・クラプトンのジョイント・ツアーが行われた。

17年ぶりのコンサートツアーであり、25年ぶりの来日公演でもあった。

当時息子を事故で亡くした直後だったクラプトンによるハリスン本人への申し入れによって実現したもので、コンサートはクラプトンと彼のバンドによる全面的なバックアップのもとで行われた。

1989年のリンゴ・スター、1990年のポール・マッカートニーに次いで、元ビートルズが3年連続で来日したことになる。

僕は、ジョージだけはなんとか見たかった。

ただ、世間ではクラプトンの扱われ方が大きかったのが癪だったのを覚えている。

その直前、クラプトンとジョージの特集番組があった。

意地悪な質問にも笑顔で答える二人。

来日時に弾いていた「ロイ・ブキャナン」モデルのギター。

当時、食い入るように来日までの間、何度もビデオで観ていました・・・

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1/3




2/3




3/3



そういえば、ベリンダ・カーライルのバックでジョージがギターを弾いていて、クラプトンがラジオで聞き、

「この前、キミのようなギターを聞いたよ」

っていうと、

ベリンダ・カーライルのことをジョージが伝えると、クラプトンが驚いているのが印象に残った・・・












「マイ・スウィート・ロード」 ジョージ・ハリスン

マイ・スウィート・ロード



このジョージ・ハリスンのソロ初のシングルが発売されたのは1970年11月23日だった。

三枚組のアルバム『オール・シングス・マスト・パス』の先行シングル。

ビートルズ解散後、ヒットを出すのはジョンかポールか?と世間が思う中、ビートルズのメンバー初となるヒットチャート1位を獲得したのはジョージだった。

とりわけアメリカではミリオン・セラーを記録し、イギリスでは1971年度の年間チャートでも1位を記録する大きな商業的成功を収めた。日本でも20万枚以上を売り上げる大ヒットを記録し、オリコンのシングルチャートで最高4位まで上昇している。

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盗作問題

この曲に付きまとう話として盗作問題がある。

1971年3月6日にビルボード誌のある記事の中で疑問が呈されたことに端を発する。

シフォンズの「He's So Fine」である。



が、そんなことは僕には関係なく名曲である。

というように、実は「ゴシップ」でもスタート時点からビートルズのメンバーで一番手。

その後も離婚問題なども考えると一番世間を騒がしている・・・・・

その後、ジョージは「ダーク・ホース」というレーベルを立ち上げる。

まさにダーク・ホース。

物静かな「クワイエット・ビートル」と思われているジョージ。

「お騒がせ」はジョンの専売特許のイメージだったのだけど・・・

小気味良い話である。

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「第三の男」

世間のジョージに対するイメージは、ジョージを知れば知るほど違ってくる。

ジョンやポールほど音楽面で成功していないのは、世間がビートルズの影を求める中、ビートルズを一番払拭していたのがジョージだからだと思う。

人柄にしても、彼を悪く言う人間は非常に少ない。

亡くなる少し前、ビートルズの元メンバーのピート・ベストと再会している。

ジョージ曰く「僕はビートルズ時代にピートになにもしてあげられなかった。せめて、再び彼と逢ってピートに当時のことを謝りたかったんだ」と長年の間ずっと、ピートのことを気懸かりに思っていたという。

ピートをビートルズがいびり出した後、リンゴのドラムが良いと言ってリンゴを推薦したのはジョージだった。

この話を知ったとき、非常にジョージらしいと思った。

本日ジョージの七回忌。

ジョージこそ、(少なくとも僕には)「マイ・スウィート・ロード」である。

それはこれからも変わらない。

まだまだ、語りたいことはあるが、今回は「マイ・スウィート・ロード」のことだけ。


マイ・スウィート・ロードマイ・スウィート・ロード
(2002/02/08)
ジョージ・ハリスン

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鬼頭つぐるLIVE@DOOBY 告知

鬼頭つぐる in Dooby

今年、岡山では最後の「鬼頭つぐる」さんのライブです。

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鬼頭つぐるLIVE @ DOOBY ROAD TO 九州ツアー

2008 12/2 Tue.

オープン20:30
スタート21:00

前売り
\1500(1D付)30枚限定
当日
\2000(1D付)

前売りチケットが30枚完売した場合は、当日券はございません。
あらかじめご了承下さい。

オープニングアクト
荒井輝年(from The Wailars)

問い合わせ
DOOBY
086-424-0043

http://dooby.fc2web.com/



(今年11月13日の笠岡の「萌」さんでの様子)




最近のムサシ。

僕の友達の猫のムサシには兄ちゃんがいます。

先日、彼のバイトするライブハウスへ行くと忙しそうに走り回っていました。

ムサシの兄ちゃん。

最近なにかと会うことがあり、音楽の話をしたりしますが、彼は「The Who」のファンのようです。

まだ10代なのに、僕と60年代のUKロックの話をしているのはどうなんだろう・・・

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今日、弟のムサシに会いました。

仕事帰りにも見かけますが、寒くなったのでなかなか出てきてくれない。

早い時間にムサシのところへ行くと、椅子の上で居眠り。

お休み中・・・・

真上から見ると、最近太ったのか、まるでアンカのような感じ。

太ったような・・・

「太ったんじゃないですか?」

などと、言っていたら、悪口に目を覚ましたムサシにネコパンチくらいました・・・・・





「花*花プリン」と「備中神楽面最中」

先日、店に来る女の子が、誰かのために購入した「花*花プリン」。

その人と会う予定がキャンセルとなり、生ものでもあり、僕のところに廻ってきました。

花*花プリン

色々な味の小さなプリンたち。

どれもおいしかったです。

色々な味を楽しみたい人にはおすすめ。

袋の中にメニューが入っていました。

リーズナブルな価格と品数の多さがお勧め。

「バケツプリン」というのが気になりました。

食べログ

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U.M.くんが10月の下旬頃からはじめた「備中・倉敷あんこめぐり」。

これは、U.M.くんがヒッチハイクをしながら、決められた岡山の和菓子店をめぐり、人の情けや優しさに触れながらゴールを目指すというドキュメンタリー(な訳ない)。

先日、

「もうすぐゴールです」

と、頂いたのがこれ。

備中神楽面最中

「U.M.くんのお土産第14弾」

「備中神楽面最中」です。

僕は半年ほど前に食べたのが最後でした。

この最中、皮が神楽のお面になってまして、お面の種類もいくつかあります。

が、何よりも味がいいです。

僕の好きな最中ペスト10には入っています。

ここの会社の「金平饅頭」も大好きです。

ホームページ








6.「くるったロボット」

くるったロボット

「くるったロボット」

アシモフ作 / 小尾芙佐 訳・和田 誠 絵


同出版社では挿絵とタイトルを替えて版を重ねています。

イラストは山田 卓司さん。

うそつきロボット (冒険ファンタジー名作選(第1期))うそつきロボット (冒険ファンタジー名作選(第1期))
(2003/10/15)
アイザック アシモフ

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「あらすじ」


こもりロボットのロビイと仲良しのグローリア。

ロビイはグローリアの話してくれる「シンデレラ」が大好きなロボット。

近所のこどもと遊ぶよりロビイとばかり遊んでいました。

両親はそんなグローリアを心配して、ロビイをテキサスにある「USロボット会社」に返してしまい、代わりに犬を飼います。

が、グローリアはその日から元気がなくなってしまいます。

「ロビイは機械じゃない、おともだちよ。ロビイ、ロビイ!」

ふさぎこむグローリアを気分転換にニューヨーク旅行に連れて行きますが、ホテルでひきこもってしまう。

ロボットがただの組み立てられた機械であることを見せようと「USロボット会社」の工場へグローリアを連れて行く。

工場でロボットを組み立てるために働くロボットたち。

「ロビイ!」

と、その働くロボットたちの中にロビイを見つけたグローリアは走り出す。

へやの向こうから、大きなトラクターが勢いよく走ってきていた。

「トラクターをとめろ!」

という支配人が叫ぶが間に合わない。

はたしてグローリアは・・・・・


原作の9台のロボットのお話から抜粋した4編。

「こもりロボット・ロビイ」、「水星ロボット・スピーディー」、「うそつきロボット・ハービィ」、「電子頭脳マシンX(エックス)」として収録されています。

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アイザック・アシモフ

(Isaac Asimov, 1920年1月2日 - 1992年4月6日)

アシモフはロシアのペトロビッチにおいてユダヤ系ロシア人イサアーク・オジモフとして生まれ、3歳の時に家族とともにアメリカに移住し、ニューヨーク・ブルックリンで育ちました。

家庭は裕福ではなかったが学業成績は優秀で、公立校や高校を飛び級で卒業して1935年に15歳でコロンビア大学へ入学しました。

1939年、SF雑誌『アメージング・ストーリー』に「真空漂流」が掲載され作家としてデビューしました。

同年にアシモフはコロンビア大学を卒業し、同大大学院で化学を専攻した。

この頃すでに『われはロボット』所収のロボット工学三原則物やファウンデーションシリーズの諸作品、出世作『夜来たる』などの代表作を世に出している。

大学院在学中に第二次世界大戦の勃発によって1942年から休学し、フィラデルフィアの海軍工廠に勤務した。1942年にはガートルードという女性と結婚している。終戦直後に徴兵され、化学の学位を持っていることを理由にビキニ環礁での核実験に技術兵として加わえられ、ハワイまで行ったが結局参加せずに9ヶ月で除隊した[7]。

1946年に大学院に復学し、1948年には博士号を取得した。

コロンビア大学で1年間ポスドクを勤めた後に1949年からボストン大学医学部の生化学の講師となった。

SFの執筆は継続していたが、パルプ・マガジンであるSF雑誌の掲載料は高くなかった。

しかし1950年にダブルデイ社から初めての単行本『宇宙の小石』が出版され、さらに『われはロボット』やファウンデーションシリーズなど過去に雑誌で発表した作品が書籍化され、印税の形式で収入を得られるようになった。

1954年にはSFミステリの傑作『鋼鉄都市』によりSF界の巨匠の地位を不動の物とする。

また化学のノンフィクションの作品を出版するようになった。

1951年には助教授、1955年に准教授となり終身の在職権を得たが、学外での執筆活動について上司や一部の教授たちから不興を買い度々トラブルが発生していた。

既に著作から十分な収入を得ていた事もあり、1958年に肩書きのみを保持することで合意し、教壇を降りた。

その後は専業の作家・講演者となり、化学以外のノンフィクションの分野へも活動を広げていった。

アシモフは次第に科学の解説者として知られるようになり、科学を概観した『知識人のための科学入門』が1961年の全米図書賞ノンフィクション部門にノミネートされ、1964年にはアメリカ化学会の著述に対する表彰、ジェイムズ・T・グラディー賞を受賞した。

1962年にメンサの会員になったが数年後に退会した。

1972年に再び会員になり、1974年にはメンサの講演のためにイギリスへ旅行している。

1951年に息子、1955年に娘が生まれていたが1970年から別居し、ボストンから再びニューヨークへ移り住んだ。

1973年にガートルード夫人と正式に離婚し、同年に心理分析医のジャネット・ジェプスン(後にSF作家)と再婚した。

アシモフとジャネットはNorbyシリーズなどの共著を残している。

1970年にはエラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジンにて純粋なミステリの黒後家蜘蛛の会シリーズの連載を開始した。

SFでは1972年に久々の長編である『神々自身』を出版し、ヒューゴー賞 長編小説部門とネビュラ賞 長篇小説部門を受賞した。

1982年には、ファンや編集者の要望に抗しきれず執筆したファウンデーションシリーズの30年ぶりの新作『ファウンデーションの彼方へ』がベストセラーとなり、以後再び精力的にSF長編を執筆、同シリーズとロボットシリーズの統合を成し遂げている。

アシモフは1992年4月6日に没した。

死因は後天性免疫不全症候群(エイズ)によるもので、1983年に受けた心臓バイパス手術の際に使用された輸血血液がHIVウイルスに汚染されていた事が原因である。

アシモフの死因は、彼の死から10年の後に出版されたジャネット夫人の自伝 It's Been a Good Life(我が良き生涯)で明らかにされた。

アシモフは生涯で500冊以上の著書を執筆した。

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今回の「くるったロボット」は原作『われはロボット』(I, Robot )といいます。

収録作品は、

ロビイ Robbie
堂々めぐり Runaround
われ思う、ゆえに… Reason
野うさぎを追って Catch that Rabbit
うそつき Liar!
迷子のロボット Little Lost Robot
逃避 Escape!
証拠 Evidence
災厄のとき The Evitable Conflict

USロボット社の主任ロボ心理学者スーザン・カルヴィンの回顧録という形になっており、彼女かもしくは同社の新型ロボット実地テスト担当員のドノバン&パウエルのコンビが各エピソードの主役を務めています。


ロボット工学三原則

ロボット三原則(ロボットさんげんそく)とも言われる。

第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。

第二条 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。

第三条 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。


この三原則を私がはじめて知ったのは「鉄腕アトム」のコミックスの中でした。

手塚治虫氏にも影響を与えているのだなぁと当時は軽く考えてきました。

ソニーのロボット犬「アイボ」というのがありました。

あのアイボにも、これは応用されていたとか・・・・

これから科学がもっと発達すれば、この三原則を耳にする機会は増えてくると思います。


「アイ・ロボット」は2004年、ウィル・スミス主演で映画化されました。




他にもロボットシリーズで映像化されたねのに、『バイセンテニアル・マン The Bicentennial Man 』(1976年)などがあり、1999年に『アンドリューNDR114』というタイトルでロビン・ウィリアムス主演がありました。



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小尾芙佐(おびふさ)

1932年東京に生まれる。

津田塾大英文科卒。

主に英米のミステリー、SFの翻訳に従事。

日本SF作家クラブ会員。

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和田 誠(わだ まこと)

1936年4月10日 -

父がJOBK(現在のNHK大阪放送局)に勤務していたため大阪市に生まれる。

父の失職の後、1945年3月に一家で大阪を引き上げて東京都世田谷区代田に転居。

しかし誠のみ千葉県に疎開し、ここで敗戦を迎える。

戦後に東京へ戻り、世田谷区立代沢小学校3年次に転入。

東京都立千歳高等学校(現東京都立芦花高等学校)、多摩美術大学図案(現デザイン)科卒業。

1959年に広告制作プロダクション、ライトパブリシティに入社。

同社を退社した1968年より、フリーのデザイナー、イラストレーターとして活躍する。

代表作として、たばこ「ハイライト」のパッケージデザインがあまりにも有名。

この他、フジテレビ『ゴールデン洋画劇場』のオープニングタイトルや「週刊文春」の表紙も一般的には広く知られている。星新一著作の挿絵も多数手がける。

星新一・丸谷才一の一連の作品や村上春樹『アフターダーク』など、書籍のブックデザインも多く手がけているが、和田は普通カバー裏に直接印刷されているバーコードを嫌っているため、彼の作品にはISBNの数字のみが記載される。

その際バーコードは帯につけられていることが多い。

本業のデザインのほかにも、作詞・作曲から、パロディ小説執筆、翻訳まで幅広い分野で活動。

特に映画ファンとして有名で、「お楽しみはこれからだ」をはじめとするエッセイ集がある。

一方で小泉今日子主演で知られる『怪盗ルビィ』などの映画監督を手掛けたりと、監督としての評価も高い。

また、1960年に久里洋二・柳原良平・真鍋博が「アニメーション三人の会」を結成して草月ホールで定期的に上映会を行っていた際には、和田も横尾忠則や手塚治虫らとともに参加し、個人で制作したアニメーションを上映した。

父は築地小劇場の創立者の一人で、のち、ラジオドラマを多数演出し「ラジオの神様」と呼ばれた和田精。

夫人は料理愛好家・シャンソン歌手の平野レミ。

ロックバンドTRICERATOPSの和田唱は息子。

伯父は、「日劇」のレビューの演出家だった、山本紫朗。

彼に取材した内容をまとめた本に、『ビギン・ザ・ビギン』がある。

また、1992年に、この本に書かれたような日本にレビューの黄金時代を『日劇物語』として映画化する話があり、脚本を執筆してクランク・イン寸前までいったが、資金不足で撮影中止となった。

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今回の「くるったロボット」。

アシモフの作品であり、非常にエスプリの利いたお話です。

深く考えると、我々が向かっている未来に恐怖さえ感じてしまいます。

読後に「ウーン」と唸るしかない名作でした。

くるったロボット (SFこども図書館 (6))くるったロボット (SFこども図書館 (6))
(2001/01)
アシモフ小尾 芙佐

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テーマ:読書感想文 - ジャンル:小説・文学

☆ACOUSTIC FESTIVAL 31 

前回、音楽舘さんに行ったとき、まきちゃんに、

「今度のACOUSTIC FESTIVALに出演するのでよかったら来て」

と言われました。

で、本日行って来ました。

(本人様に直接了解いただいた分のみ写真掲載)
眞田さん

トップバッターは「眞田英明」さん。

前回おみかけしたとき、クラプトンのシグネイチャーモデル、マーチンのトリプルO(オー)を使用されてました。

今回はHDのマーチン。

ちょっとあこがれます。

HDシリーズはビンテージを追求したモデルなんですよね。

元々クラッシックをされていたそうです。

綺麗なコード進行の曲を作られる人でした。

二番手の「降魔信行」さん。

「今日は体調が・・・」

と、言われていましたが、いつもより控えめに歌われていました。

が、逆に味わい深いものになっていました。

ファルセットぎみの高音は僕には出せないのであこがれます。

まきさん

見るたびに、カッティングが上手くなってます。

よほどギターが好きで、いつも練習しているのでしょう。

何事も飽き性の僕は見習わないといけないのでしょうね。

以前聞いていたオリジナルも腕前が上がって聞くと、また感じが違ったようでした。

ラストは「たばさ」さん。

いつものノリノリの感じで、風船の飛び交う中、場を大いに沸かせていました。

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帰りに図書館に寄り、本の返却。

次に借りる本を予約して家へ。

今晩、僕もギター練習しよう・・・・


大きな地図で見る





あおいくん。はじめまして・・・

昨晩用事があり「RED BOX」へ。

駐車場にみなれた顔がチラホラ。

聞けば、「ワイラーズ」がオープニング・アクトを勤める「B:RIDGE STYLE」のライブがあるとのこと。

「ワイラーズ」を途中まで観て仕事へ。

ワイラーズ


店を開けるとスグK子ちゃんがやって来る。

腕には息子の「あおい」くん。

トマトジャースおいしい?
笑って!!

ぱっちわぁくの山下くんたちがやって来て、「あおい」くんのホストで呑む。

僕が「だっこ」したんだけど、スグお母さんのほうへ行こうとする。

山下くんたちと、いい年した大人がバーで赤ちゃん言葉を喋っている図はなんとも・・・・







呑みに出る・・・

先日、バー「J」のKが自分の店の周年の告知にやってきた。

「Kのところは11月19日が周年だよな」

K「今年は20~22日までします。あつっさん(僕のこと)よく覚えていますね・・」

「Cheer Down は先週が周年だったけどね」

K「え?おめでというございます・・・・・違うでしょ。来年ですよね?」

過去四回、お互いに周年を祝っているが彼は他店の周年は覚える気がないようだ・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・

で、昨晩店がすんでから覗く。

その場に同業の若いYくんがいた。

Y「あつっさんのブログと山さんのブログは読んでますよ」

「そうなん?僕のはオモシロくないけどね・・・」

Y「もっとオーディオネタ書いてくださいよ。出来ればアンブのことを・・」

・・・・・・・・・・・・・

ごめんよ・・・Yくん。

急に言われて、酔った勢いで「了解」って言ったけど、スグには書けない。

大体ムラっ毛の多い僕が、過去オーディオネタを書いていたときは、オーディオがマイ・ブームだった。

近いうち必ず書くから待っていてくれ・・・・

なぜかオーディオって人気があるのか、未だにアクセス解析を見ていると、ヤフーやグーグルのサーチで僕のオーディオの記事に辿り着いている人が多い。

一番多いのは「DENONのDP-37F」の記事。

続いて「CA-100Ⅱ」。

こういうのって、ノリノリの時にしか書けない。

今のマイブームは「昼寝」。

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話は脱線したが、Kくん九周年おめでとう。





清水白桃カレー

全国にはご当地ならでは食べ物がある。

愛媛の「みかんご飯」。名古屋の「きしめん」。香川の「讃岐うどん」etc。

ここ岡山といえば「桃」が有名。

で、ご馳走といえば「カレー」。

(「カレー」=「ご馳走」というのも、ジェネレーションによるのだろうが・・)

そこで登場するのが、桃のご馳走です。

清水白桃カレー

「何?知らない?」

岡山県民は必ず食べてるという「ご馳走」(嘘)。

先日、倉敷市の美観地区を散策しているときに見つけて購入したものの、怖くて食べてませんでした。

が、食べないと意味がないので食べてみました。

おいしそう・・・

「清水白桃がジャガイモのようにゴロゴロ入っていたらどうしよう?」と思っていましたが、桃の姿はまったくありません。

味わいは、フルーティーでほんのり甘酸っぱい。

レトルトにありがちな防腐剤の臭いとでもいうのか、薬品臭もなく、おいしく食べました。

奇をてらった「おみやげ物」かとも思いましたが、おいしく食べれたので機会があれば食べてみてください。






VAN VAN LIVE 300 *****PEACE LIVE*****

VAN VAN LIVE 300 *****PEACE LIVE*****

昨年は年末でもあり、11月は「音楽舘」さんにいけなかったのですが、今年はこの時点で暇だったので行って来ました。

老眼鏡を忘れてしまい、譜面が見づらく、土壇場で選曲を変える始末。

それでも機会があれば、11月に歌おうと思っていた曲を・・・・

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その後、応援に来てくれたぽちたま☆さんと出演していたU.M.くんが来てくれた。

で、音楽話で盛り上がり、二人が帰る。

暇なりに年末が近づいてきているのか、ボチボチとお客さんが来る。

ワイラーズのテルくんとトンチーがやって来る。

トンチーが独立して自分のお店を出す。

その案内。

アロマのお店なので、機会があれば紹介したいと思います。

その後も久しぶりの人やはじめての人で、ボチボチと朝になりました・・・





5.「地底探検」

地底探検

「地底探検」

ベルヌ作 / 久米元一 訳・田名網敬一 絵


同出版社では挿絵を替えて版を重ねています。

イラストは琴月 綾さん。

地底探検 [冒険ファンタジー名作選(第1期)] (冒険ファンタジー名作選)地底探検 [冒険ファンタジー名作選(第1期)] (冒険ファンタジー名作選)
(2003/10/15)
ジュール ベルヌ

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「あらすじ」

叔父のリーデンブロックの研究を手伝う18才のアクセルは、同じようにリーデンブロックに引き取られた美しい少女グラウベンに恋している。

ある日叔父のリーデンブロックは古本屋で秘密の暗号が描かれた本を見つけてくる。

ふとしたことで、アクセルは暗号を解いてしまう。

そこに書かれていたものは、地球の中心への道しるべだった。

さっそく冒険へとはしゃぐリーデンブロック。

アクセルは気が進まないが、グラウベンに叔父のことをよろしく頼まれる。

リーデンブロック、アクセルは無口だが信頼のおけるガイドのハンスを伴い、地球の中心に向かう。

地球の中の大きな海。

首長竜や魚竜。

大きな象に巨人。

はたして三人の行く手には・・・・・

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ジュール・ヴェルヌ

(Jules Verne, 1828年2月8日 - 1905年3月24日)

フランス西部ペイ・ド・ラ・ロワール地方のナントで生まれる。

家はロワール川の中州の一つであるフェイド島にあり、子供時代はほとんどこの家庭で過ごした。

そして、この人里離れた孤立がかれの想像力と兄弟との絆を強くした。

そのようなナントに訪れてくる船乗りたちの冒険話もヴェルヌの冒険心と想像力をかきたて、彼は海の英雄になることを夢見たという。

父のピエールは地元の弁護士であり、論理的な人であったという。

その性格を示す逸話として、自宅から事務所までにかかる歩数を知っていたことや、望遠鏡で教会の時計を見て、常に正しい時間を確認して行動していたなどといったものが残されている。

このような父の性格はヴェルヌ作品の登場人物にも受け継がれることになる(例:『月世界旅行』のインピー・バービケイン)。

母のソフィーは船乗りの家系の出で、父とは対照的で、ヴェルヌに「まるで竜巻のよう」とたとえられるほどの想像力の持ち主であった。

ヴェルヌは5人兄弟の長男であるが、特にヴェルヌと同じく海に憧れを持つ弟のポールと仲が良かった。

弟はのちに海軍に入隊したが、長男のヴェルヌは父の後を継ぐために法律を勉強した。

学校はナントのリセに行った。

11歳のときに、初恋の相手であるいとこのカロリーヌにサンゴの首飾りを買ってあげようと、密かに水夫見習いとしてインド行きの帆船に乗船した。

しかし途中で父に見つかってしまい、

母親が、

「ジュール、そんなにがっかりしないで、弁護士になってお金が沢山はいれば、どこへでも、おまえのすきな所へいけるじゃないの」

と、言うと、

「いいんです。おかあさん。ぼく、船乗りになるのはあきらめました。そのかわり、夢の中で世界旅行をします。そして大きくなったら、それを本に書きます」

と言ったという逸話は有名である(しかしこの逸話が事実であるかどうかについては否定的な見方もある)。

1848年、ヴェルヌは父の勧めによりパリの法律学校へ進んだ。

そこでヴェルヌは多くの芸術家たちと交流しました。

これは、ヴェルヌの才能を見た母が、パリにいた親戚に取り計らったことによるものであった。

パリでの生活は充実したものではあったが、金銭面においてはあまり余裕のない生活であったらしい。

そのうちアレクサンドル・デュマ父子と出逢い、劇作家を志すようになりました。

大デュマがプロデュースした、ヴェルヌの処女作『折れた麦わら』は好評で、2週間上演されました。

その一方でヴェルヌは、自然科学の論文も読んでいました。

そのような中1840年代に、彼のお気に入りの作家であったエドガー・アラン・ポーが、小説に科学的事実を取り入れることによって、物語に真実味を持たせるという技法を示し、これに興味を持つようになっていった。

ベルヌはただ空想だけでなく、なんども図書館に足を運んで学会の専門誌に目を通し、よく調べてから筆をとります。

友人フェリックス・ナダールが製作した気球に触発されて、1863年に書いた冒険小説『気球に乗って五週間』が大評判となり、流行作家となりました。

そして彼は編集者のジュール・エッツェルと契約を結んで、生涯にわたって科学・冒険小説の傑作を生み出してきた。

ベルヌの書く小説は、いつでも時代に一歩先んじていました。

飛行機、潜水艦、ロケットも、全て、ベルヌの小説が発表された後で考案され、発明されたものです。

「二十世紀の科学は、ベルヌの夢のあとを追って発達した」

といわれたほどです。

1883年にはアミアン市会議員に当選し死ぬまで在職しました。

1905年3月24日 「科学冒険小説の父」とあおがれたベルヌは亡くなります。

『気球に乗って五週間』(1863年)
『二十世紀のパリ』(執筆は1863年頃、発行は1994年)
『地底探検』(1864年)
『月世界旅行』(1865年、1870年)
『海底二万リーグ』(『海底二万里』、『海底二万マイル』、1869年)
『八十日間世界一周』(1873年)
『神秘の島』(1875年)
『皇帝の密使』(1876年)
『黒いダイアモンド』(1877年)
『インド王妃の遺産』(1879年)
『必死の逃亡者』(1879年)
『アドリア海の復讐』(1885年)
『征服者ロビュール』(1886年)
『二年間の休暇』(『十五少年漂流記』、1888年 )
『カルパチアの城』(1892年)
『動く人工島』(『スクリュー島』、1895年)
『悪魔の発明』(『国旗に向かって』、1896年)
『世界の支配者』(1905年)
『砂漠の秘密都市』(『サハラ砂漠の秘密』、1919年)

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久米元一(くめげんいち)

(1902年 - 1979年)

1902年東京に生まれる。

高千穂高商卒。

主として児童文学の創作、翻訳紹介に従事。

日本児童文芸家協会顧問。

1979年没。

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田名網 敬一(たなあみ けいいち )

(1936年7月21日 - )

1936年、東京・京橋の服地問屋の長男として生まれる。

少年時代は『漫画少年』の定連投稿者であった。

1960年、武蔵野美術大学デザイン科卒業後、博報堂の制作部に勤めたが、会社外の仕事が忙しく、1年で退社。

その後、アニメーションや版画、イラストレーション、エディトリアル・デザインなど、前衛的で遊びに満ちたさまざまな創作活動を行う。

1975年に日本版『月刊 PLAYBOY』誌の初代アートディレクターに就任し、アメリカ、日本間を飛び回る。デザイン分野で、日宣美「特選」などを受賞する一方、映像による実験制作を試み続け、作品はオーバーハウゼン、エジンバラなど世界各地の映画祭・映像展で上映された。

1981年に胸膜炎で3ヶ月入院。

幻覚の〈松〉にうなされる。

退院後、異形の松や鶴、象など、多くのアジア的な形象の引用を表現手法に採り入れ、記憶や夢の世界をペインティング、映像、版画で表す。

1991年より京都造形芸術大学教授に就任。

- オフィシャルサイト -

個人的意見ですが、田名網氏の挿絵は、ビートルズのイエロー・サブマリンのアニメのテイストに近く、とても綺麗でした。

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今回の「地底探検」は、子供の頃、僕の母親の本棚にも文庫本がありました。

シリーズ中、一番王道の作品なのではないでしょうか?

今回もポップなイラストで、まったく古さを感じませんでした。

ベルヌは、先に書いたように、ポーの影響から、科学的根拠の裏づけ。

話の組み立て。

人物の描写。

(今回の「地底探検」の場合、主人公の気弱さや、頭は良いがトボけた叔父。無口だが誠実なハンス)

この三つの要素で一気にその世界へトリップできます。

今の子供たちにも是非読んで欲しいと思いました。

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この秋の映画「センター・オブ・ジ・アース」は悩んだ末観ていません・・・

観た人いたら感想を教えてほしいです。

ちゃんと3Dだったんでしょうか・・・

どうもB級のニオイがプンプンしてて・・

原作は5,000kmの旅だったのに、映画は160kmだったのが残念。



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地底探検 [冒険ファンタジー名作選(第1期)] (冒険ファンタジー名作選) (冒険ファンタジー名作選)地底探検 [冒険ファンタジー名作選(第1期)] (冒険ファンタジー名作選) (冒険ファンタジー名作選)
(2003/10/15)
ジュール ベルヌ琴月 綾

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「おしるこ」と「瓦せんべい」

昨晩naoちゃんが帰ろうとした時、Yuunaさんがやってくる。

naoちゃんを見送り、yuunaさんの手を見ると、なにやら袋に入っている。

「何?」

って訊くと、

「井村屋のおしるこ」

とのこと。

ありがたく頂く。

井村屋 おしるこ

なるほど、つぶがしっかりして、昔食べてた駄菓子屋の「甘納豆」のようである。

僕が飲みきったのを見計らって、

「お願いがあるんだけど・・・」

彼女が言うには、歌を録音して「My Sound」にアップしたいとのこと。

以前は「プレーヤーズ王国」っていっていたサイトである。

おしるこはもう飲んじゃったので、しかたなく了承。

ピアノやドラム、ベースの伴奏も付けろとかいうが、おしるこ一缶では割りに合わないので却下。

弾き語りの一発録りで、2テイク目を採用。

後はジャケット作ったりしてアップするだけ、久しぶりの作業でMP3の圧縮の仕方に手間取る。

ま、ここまで出来ていればメールやチャットのやりとりでデータのやりとり出来る。

9割ぐらい出来たようなもの。

そうこうしているとU.M.くんがやって来る。

「何してるんすか?」

「キミこそどしたん?」

高松でライブしてきました。おみやげです」

と、差し出されたものは・・・

くつわ堂の「瓦せんべい」。

くつわ堂 瓦せんべい

実はU.M.くんが初めてCHEER DOWNにライブツアーのお土産を持ってきてくれたのが「瓦せんべい」

半年前のことでした

そのときは事故で砕けた「瓦せんべい」。

今回は無事、その大きさも拝むことが出来ました。

(タバコと対比)

「録音終わったからお茶入れるよ」

(ここに出てくる「瓦せんべい」は「(有)田村くつわ堂本店」。「宗家くつわ堂」ではありません。どちらも「田」の文字を焼きいれしているので、創業者は田村正一氏で同一なのでしょう)

お茶を入れながら聞き入っていると、

「瓦せんべいのCMって川原で子供が瓦割りしてたよね」

と、yuunaさん。

「じゃあ、高梁川の川原へ行って食べれば?」

と、辛口のU.M.くん。

袋の上から瓦割りのマネをしようと、空手チョップを振り下ろすyuunaさん。

「ドン」という音とともに袋の中のせんべい真っ二つ。

縦に振り下ろしたのになぜか横に割れていた・・・・

マネだけのつもりが割れちゃったので大慌てしている。

僕が思うに、寸止めしようとしたが、筋力が足らず叩いてしまったということだろう。

どうりでギターのストロークが怪しい訳である。

「どうせ割るからいいじゃん」

というと、「そうだね」といって、また空手チョップをしていた。

しかも、掛け声付きで・・・

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その「空手チョップ」を見た男二人は彼女の話に逆らうのを止めたとさ。

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携帯で見る




鬼頭つぐる in 「萌」

11月13日に、笠岡の「萌」さんに行ってきました。

今年7月にCHEER DOWNでもライブをされた「鬼頭つぐる」さんのライブの応援です。

13日の早朝にCHEER DOWNに来られて

「萌さんでライブなんだけど、お客さん来るかな?」

と、不安がっていました。

「不安がっていた」と書くと気弱に聞こえますが、本人は飄々としてましたので、特に心配はしていません。

僕もどうせ暇だからと、ついていくことにしました。

実は「萌」さんにもう一度行きたいということもありまして・・・

8時からのライブでしたが、早めに出て「うどん」を食べ、5時には到着。

「こんにちわ」

と、入っていきますと、僕を見てママさんが、

「アンタどっかで見たことあるなぁ」

以前「フォークランド」でお世話になったことを伝えました。

先日、「ぱっちわぁく」さんが「萌」さんでライブが決まっていたにも関わらず、僕のサラリーマン時代の後輩の結婚式に出席してもらったことや、直接ママさんにお会いしてお話したいことが沢山あったので良い機会でした。

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早い時間から女性客が来ていたのですが、僕も鬼頭さんも、てっきり「萌」さんのお客さんと思っていました。

ママさんが、

「鬼頭くんを観に来た初めてウチに来るお客さんだよ」

「えーーっ、鬼頭さんモテモテじゃん!」

と、僕。

鬼頭さんも、その女性客が夏に岡山でライブしたときに来てくれたお客さんだと思い出す。

ライブの時間が近づいてきて、どんどんお客が増えてくる。

しかも女性ばかり・・・・

「鬼頭さん、どうなってんの?」

と、言うと、

「オレもビックリ」

との回答。

CHEER DOWNで7月にライブをしたときに来ていたMちゃん(Mちゃんは翌日CHEER DOWNに来てレイナード・スキナード聞いて帰った)やオープニング・アクトを務めたYUUNAさんが来てました。

スタートしてみたら、20名ぐらいのお客の中、男性は3名ぐらい。

鬼頭さんは、嬉しいやらテレるやらのライブでした。



後半のノリもモチベーション高く、客席のAさんやママさんの突っ込みもタイミング良く、楽しい一時。

僕にとっては良い気分転換になりました。

ママさんも、

「鬼頭くんのライブで今日が一番良かった」

とおっしゃってました。


その後、「グリーンココア」を飲み、

グリーンココア

ライブ終了後、鬼頭さんに握手し、ママさんに挨拶をしてお店を後にしました。



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「藤戸饅頭」久しぶりに再会。

店を開店して、スグ表で女性の声が近づいてきて、

「ギーーーーッ」

と、扉が開いた。

「ギャーッ」

とはならなかったけど、そこに立っていたのは「ぱっちわぁく」のかおりさん。

お友達と遊びに来てくれました。

なんにする?

かおりさんとは、マッキーの結婚式以来。

一昨日(11/14)が25回目(!)の誕生日ということで、お友達とお祝いでした。

「マスター、これ」

って、かおりさんが差し出したのは「藤戸饅頭」。

以前、このブログにも書いたのですが、僕が初めて「藤戸饅頭」を食べたのは、2006年12月19日。

やはり、かおりさんから頂いたのが初めて。

次に2007年の新年会に頂いたり、ぱっちのライブで会った時に頂いたり・・・

「かおりさん=藤戸饅頭」という、パブロフの犬よろしく条件反射状態。

というか、「藤戸饅頭」は、かおりさんから頂いたものしか食べていないと思います。

「ついでにブログにお二人を掲載してもいいですか?」

と言うと、快くピースサイン。

ピース!!

「そういえば、昨晩YURIちゃんが来てました」

時々来るYURIちゃんは、かおりさんの教え子です。

「U.M.くんたちが今はかおり先生の代わりにお守りしてくれてますよ」

などと、世間話や音楽の話、はじめて出会ったときの思い出話などに花が咲く。

しばらくして、アラサッタ探偵社のチャーさん来店。

かおりさんたちは、ご家族の待つ家庭へ。

チャーさんと、先日、鬼頭さんのライブに笠岡の「萌」さんに行ってきた話などしながら「麦焼酎」を二人で飲む。

友達のライブに出かけていたらしい。

土曜日の夜ということもあり、アラサッタのお客さんから引切り無しに電話。

それでもギターを弾きながら、

「もうすぐ店に帰ります」

チャーさんは、タクシーでお客さんの待つお店へ。

そうこうしてると、さっき話に出てきたYURIちゃんとマッキー。

かおりさんが来てた事を二人に伝えると残念がっていた。

久しぶり!!

かおりさんちの方に手を合わせ、3人で「藤戸饅頭」を頂く。

YURIちゃんは、仕事帰りに食事を取りに、マッキーは新婚旅行のお土産を持ってきてくれた。

マッキーのフランス土産。

饅頭食べて、チョコも食べるわけにはいかないので、後日頂きます・・・

外は雨だけど、とても楽しい日でした。







ナイター横丁夢物語 FRIDAY NIGHT, SMALL SET Vol.46

店でギターを弾いていたら、珍しくMちゃん来店。

Mちゃんとは、昨晩の鬼頭さんのライブで「萌」さんで一緒になった。

近くまで来たのでということで、しばし雑談。

彼女の音楽の趣味を聞いていると、アメリカ南部あたりが好みのようなので、レイナード・スキナードを勧め大音量で聞く。

しばらくしてhummingくん来店。

ぽちたま☆さんがやって来て、hummingくんからスタート。

来ていたYURIちゃんが、

「U.M.くんは?」

と言い出す。

時々U.M.くんがYURIちゃんのお守りをしてくれているので仲良しなんでしょう。

ぽちたま☆さんがU.M.くんに連絡すると後で来ますとのこと。

U.M.くんの代わりに犠牲になったのはhummingくん。

歌が終わって、ぽちたま☆さんの歌とイリュージョンが終わり、二順目に入ったとき、YURIちゃんとそのお友達に囲まれ、あれを弾けとかバックの演奏をしろとかせがまれる。


まとわりつかれて苦笑い・・・

hummingくんにギターを教わって・・・

YURIちゃんは、来月こそギターの弾き語りで参加すると意気込んでいた。

その後、U.M.くんがやって来て、お守りのバトンタッチ。

でも、彼らは優しいね・・・

僕なら「おとなしくしろ!」と一喝して、頭を小突くだろうけど・・・

バタバタとした日でした。

あと、hummingくんに催促した形になった「干し柿」。

干し柿。

たいへんおいしく頂きました。

子供の頃はおばあちゃんがよく作ってくれてました。

「こんなのよりお菓子が食べたい!」

って言って、おばあちゃんに、出してくれた干し柿を投げつけたことを思い出すと、今でも心が痛みます。

今年初めての干し柿、hummingくん、ありがとうでした。






讃岐うどん「むらさき」

昨晩来客があり、我家へ宿泊。

昼に起きて、しばらく我家で話し込んだ後、用事のある笠岡へ向かうとのこと。

で、同行。

起きてから何も食べておらず、夕方に途中の『讃岐うどん「むらさき」』里庄店に寄る。

『讃岐うどん「むらさき」』はセルフうどんのお店。

チェーン店らしいが僕は初めて。

「ここは備前の方にもあったよ」

と、同行した友人の弁。

調べて見ると、僕の住む倉敷には無く、新鮮であった。

ホームページ

うどん大好き。鬼頭さん。

セルフうどん自体は倉敷にもあるのですが、ここはレベルが高いお店でした。

かけうどん+野菜掻き揚げ+タカナおにぎり+さけおにぎり

ありがたいのは、昨今の物価高で私の住む町のセルフうどんは「ネギ」、「かつおぶし」がセルフではなくなっています。

これらは「追加」で有料となっているのですが、こちらは「セルフ」。

(「天カス」だけは、どこも入れ放題だけど・・)

つまり、自分で好きなだけ入れられます。

ここしばらく「セルフうどん」に行かれてない人は「え?」って思われるかもしれませんが、ここ数ヶ月でそういう現状になってます。

久しぶりの「ねぎセルフ」なので、この写真の後、ネギのピラミッドをどんぶりに作りました。

麺の質、てんぷらの美味しさ、価格からいえば、満足出来るお店。

ただ、僕の場合「おにぎり」より「白ご飯」で安くあげたいのですが、こちらはご飯ものは「おにぎり、いなり、赤飯おにぎり」です。

「赤飯おにぎり」は残念なことに売り切れ。

「高菜おにぎり」と「咲けにぎり」と「かけうどん(並)」に「野菜掻き揚げ」と「ゲソてんぶら」を乗っけました。


これらをたいらげ、改めて目的地へ出発。





鬼頭つぐるLive at カフェ・ド・萌

仕事前に風呂に入っていると携帯が鳴る。

ちょうど店の家賃の支払日なので、大家からかな?と思い、赤字が続いているので出ないでおこうかとも考える。

よく見ると、鬼頭さんからだった。

- 「もしもし」

鬼「あ、あつっさん?」

- 「明日、萌さんですよね?がんばってください」

鬼「これから名古屋でるんだけど、よかったら泊めて」

家賃の催促にくらべればお安い御用。

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ということで、本日(2008年11月13日)は、

「鬼頭つぐるLive at カフェ・ド・萌」

20時~

1,500円。

ホームページ

地図。


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どうせ暇なので、久しぶりに行こうかな?

その場合営業は十一時ぐらいからかな・・・・

熱いステージなので、近隣の方、是非、鬼頭さんの音楽と萌さんのグリーンココアを楽しみに行きましょう。




倉敷市役所 (市庁舎食堂)

市民プールへ行く為に、市役所を通り抜け。

(いつものルートに飽きたので・・)

倉敷市役所 北側

市役所の敷地の北側から侵入。

倉敷市役所 北側 その横

緑に囲まれた並木道。

市庁舎食堂

市役所の施設には売店や食堂、喫茶店があります。

せっかくなので、市役所で食事。

本日のサービスメニュー コーヒー付き

この日の「サービスメニュー」は「味噌カツ定食」600円、コーヒー付き。

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僕は優柔不断で悩むと時間が掛かるので、だいたい「日替わり」というパターン。

他にも沢山メニューがあり、雰囲気は学食。

視点を変えると、こういう雰囲気も楽しいですよ。

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食事を済ませ、レジに「コーヒー券」を持って行き「コーヒー」を貰う。

サラリーマン時代も、公共の施設の食堂は利用しました。

倉敷市役所の食堂も時々来ていました。

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裁判所なんかの食堂も安くて助かります。

岡山市の裁判所の中には「理髪店」があり、月曜日もしていて便利で安かったです。

(僕は10年以上、自分で髪を切っているので使いませんでしたが・・・)

みなさんの町の公共の施設などにも、安い食堂があるんじゃないですかね?

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食事が終わり、市民プールへ。

南側の正面出入り口を出れば、隣は以前書いた「倉敷市歴史民族資料館」。

その隣が市民ブール。

倉敷市役所

「喫茶室」も誰でも利用でき、この南側にあります。



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「のどぐろ」の一夜干し

一夜干(のどぐろ)

「U.M.くんのお土産。第十三弾」。

U.M.くんが米子ツアーを終えて、本日月曜日に帰ってきました。

「マスターお土産です」

「何?」

「よく観てください。口に特徴があります」

見ると、歯がウケグチでノコギリのようになってる。

「判った!ビラニア」

U,M.くんは絶句して、

「日本海にビラニアはいません!マスターともあろうひとが・・・のどぐろです」

とのこと。

せっかくなので、一匹網で焼いて、その場に居た人間で食べる。

脂がしっかりと乗って、ごはんのおかずに最適な味。

「残りはもったいないから明日の夕飯にします・・・」

僕はおいしいおかずはご飯がないと食べれない貧乏性。

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その後、米子でライブのために作ったCD-Rを聞かせてもらう。

ライブ報告はこちらで・・

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後で「のどぐろ」を調べてビックリ。

なんでもテレビの影響で、価格が沸騰。

今や幻の魚とのこと。

確かにオイシイ一夜干しである。

どのページにも「高級魚」とか「幻の・・」とかのうたい文句。


心していただきます・・・・・・・







一番館 (喫茶)

一番館

倉敷を横切る国道2号線。

その2号線の横にあるショッピングセンター。

もっと大きなショッピングセンターも北西にあるのだが、昔からあるこちらのショッピングセンターも捨てがたい。

倉敷に住んで、もう8年。

このショッピングセンターは好きな場所である。

その理由の一つが、この「一番館」。

ショッピングセンターのなかにあるが、ひたすら昭和。

今となっては死語の「フルーツパーラー」という感じが好きである。

昔、母が勤めていた「フルーツパーラー」に少し似ているから郷愁を覚えるのかもしれない。

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お昼時だと混雑するが、タイミングが良ければ窓側に座ることができる。

一番館 窓際

ふだんは、2号線側から、こちらを見ることの方が多い為、その窓から見る景色は、倉敷に永く住む人でも新鮮である。

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本日のランチ チキンライス

この日のランチの「チキンライス」はどこまでも「チキンライス」。

昭和な「チキンライス」に心が躍る。

自分にとって「チキンライス」はやはりご馳走だった。

特に、田舎から町に連れて行ってもらい親に食べさせてもらう「チキンライス」。

本当は「お子様ランチ」を頼みたいのだけど、男の子というのは背伸びしたがるものである。

結果、「チキンライス」を頼むのである。

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この「一番館」さんの人気メニュー。

「イタリアン」

イタリアン

スパゲッティーである。

アツアツの鉄板に乗った、ケチャップたっぷりのスパゲッティーの上に生卵。

鉄板が熱いうちに卵を混ぜて、好みの硬さに焼いてスパゲッティーと絡めて食べる。

あくまで「パスタ」ではない。

「スパゲッテイー」である。

「スパゲッチー」でもいいかもしれない・・・・

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他にも気になる食べ物で「焼きカレー」というのがある。

表の商品サンプルだと、鉄板にカレーが乗っていて、エビフライが添えてある。

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「チキンライス」がご馳走と言っても、自宅で普通に洋食を食べる時代なので、今の子供たちには判らないだろう。

まだサランラップなど無く、ちゃぶ台の上のハエよけ網をたたみ、御ひつのご飯をよそって、冷めた焼き魚が普通だった時代に子供だった人間の思い入れなんですが。

我家が特別貧しかったのかもしれないけど・・・

この「一番館」さんに行くと、なぜか昔のことを思い出してしまう。



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アサヒ おしるこ 缶190g

Asahi おしるこ

寒くなってきました。

仕事場の近くの自動販売機に、寒い季節の間だけ販売される「おしるこ」。

以前、自販機で何気なく購入して友人に大爆笑されました。

それでも、この季節になると飲みたくなります。

- メーカーサイト -


以前、ぽちたま☆さんと一緒に来店したTさんのライブが音楽舘さんであり、見終えたぽちたま☆さんがやって来て言うには、

「井村屋のおしるこがおいしい。毎日飲んでいる」

とのこと。

近くの自販機には無いので、今度お店で買ってみよう。

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「おしるこ」って聴くと「えーっ」って言う人もいますが、スポーツなどの後飲むと「ホッ」っとするんです。

僕にとってはいつでも大好きと言うのではなく、体調や気分によって無性に欲しくなる飲み物です。






U.M.くん スーパー・ライブ & ぽちたま☆イリュージョン

U.M.くんがやって来て世間話。

「それにしても『ぽちたま☆』さんは笑わしてくれるよね・・」

などと、その場に居ないぽちたま☆さんの話題。

ドアが開き、本人が入ってきて凍りつく僕とU.M.くん。

何事もなかったかのように世間話。

急にぽちたま☆さんが、

「誰か千円貸して。マジックしてあげる・・・」

と、チャーハンを頬張りながら一言。

かくして、イリュージョンの幕は切って落とされたのですが・・・・・

なんと、今回はかなりスキルが上がってました。ビックリ!!

「お年寄りなんかの前で歌ったり、手品を披露して喜んでもらえたら嬉しい」

とのことで、月に一度、勉強を兼ねて手品好きの懇親会に出ており、今日はその帰りだったらしい。

気心が知れている分、U.M.くんとからかい半分だったけど、よく考えたらスゴイなぁと思いました。

他にもいくつか披露してましたが、以前よりは上達していて楽しめました。

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この日曜日に米子でライブのU.M.くん。

「暇だから歌ったら?」

と言うと、今度のライブのセットを披露。

T-chanと上司のK氏もやって来て、2回目のU.M.くんのワンマンライブでした。

今回も、

「マスター、今のどうでした?」

と、訊かれたので、

「一曲削って、千円札でも消してお客さんをビックリさせたら?」

と、先のぽちたま☆さんのマジックを受けてアドバイス。

米子のお客さんには、U.M.くんのイリュージョンが炸裂することでしょう・・・・・・・



ハンサム★スーツ

ハンサムスーツ チラシ

ハンサム★スーツ Blu-ray スペシャル・エディションハンサム★スーツ Blu-ray スペシャル・エディション
(2012/09/05)
谷原章介、塚地武雅(ドランクドラゴン) 他

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製作年: 2008年
製作国: 日本
配給: アスミック・エース

スタッフ
監督: 英勉
プロデューサー: 山田雅子
脚本: 鈴木おさむ
ビジュアル・ディレクター: 飯田かずな

キャスト
谷原章介
塚地武雅
北川景子
佐田真由美
大島美幸
ブラザー・トム
温水洋一
池内博之
本上まなみ


- オフィシャルサイト -

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「あらすじ」

定食屋を営む大木琢郎(塚地武雅)は優しくて料理上手にもかかわらず、ブサイクでメタボリックな体型が災いし、33年間彼女がいない。

ある日、紳士服店を訪れた彼は店長から1着のスーツを勧められる。

言われるままに袖を通してみると、琢郎は顔も体型も見違えるようなハンサム男・光山杏仁(谷原章介)に変身していた。

これを着て街を歩けば、女性にはモテモテ、モデルにスカウトされて瞬く間に大人気と、幸せな人生を手に入れた様に思えたが……。

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映画にも出演している大島美幸 さんの夫、鈴木おさむ氏による小説の映画化。

最初、夏ごろに知り合いの人からチラシ(上のモノ)をいただいたときは、あまり興味ありませんでした。

何回かチラシに目をやって思いました。

「なんで今時『イケメン』でなく『ハンサム』なんだろ?」

最近あまり使わなくなった「ハンサム」という言葉を使っているあたりにセンスを感じ始めました。

「イケメン」と「ハンサム」の定義については人それぞれでしょうが、オフィシャルサイトで鈴木おさむ氏が語っていますので見てください。

ある日、近くの「洋服の青山」でカジュアルのシャツを購入。

レジに例のチラシと割引券が沢山ありました。

店員の女の子が、

「よかったらどうぞ」

と、言ってくれました。

「ホントにあればいいのにね・・・」

と言うと、

「ありますよ。ハンサムスーツ」

一瞬驚きましたが、映画とタイアップしているので「ハンサムスーツ」という商品があり、販売しているようです。

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というようなこともあり、この映画がだんだん気になってくる。

で、見に行ってきました。

感想から言えば、

「非常に面白かった!!」

こういうと、コメディー映画だから、ただ面白いだけと思われるかもしれませんが、「ジーン」と泣けもします。

「本当にモテるってどういうことだろう?」

ということも問いかけてきます。

登場するヒロイン(美人)が、ハンサム姿の主人公にナンパされて言います。

「私があなたを見ただけで好きになったら嬉しいですか?」

確かに、初対面で相手のことを知らずに顔だけで判断しても・・・・

「初めて観たときから好きでした」

的なことを相手の女性に言って、自分で内心「カッコイイ」と思っている男性を見て、滑稽だな、とは常々思っていました。

最近、カワイイだけで中身の無いタレントが・・・・・

顔が良いというのは、本人の努力ではありません。

この映画を観ていて、主人公もですが、橋野本江(はしのもとえ)役の大島美幸(森三中)さんが非常にカワイイ女性を演じていました。

この映画を観た人は、必ず彼女に好感を持つでしょう。

少なくとも、鈴木氏は女性の中の「美しさ」を「容姿」とは別物と認識しているのでしょう。

これで、氏が「絶世の美女」の夫だとしたら、まったく説得力ありません。

けして大島美幸さんがブスという訳ではありません。

今回、映画を観て、好きな女性タレントさんにランクインです。

「容姿」の「流行」というのは時代で変化するのでしょうが、自分で培う「優しさ」「明るさ」などは、いつの世でも尊ばれるべきのものだと語りかけているようでした。

氏の著書「ブスの瞳に恋してる」の男バージョンとでもいうような、心温まる映画でした。

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ハンサム役の谷原章介氏。

ハンサムなのに、体当たりの三枚目。

あまり谷原氏のことは知らないのですが、ハンサムなのにオモシロイっていうのは卑怯!

でも、オモシロかったので・・・良し。

後、勝手な意見ですが、この映画に出ている人は、この映画に出ているってことが楽しくてしかたなかったのでは?と、思えるぐらいのノリの良さを感じました。

オチが判っていても、また観たくなる映画です。

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自分は「イケてると思っているのに、なぜ?」

とか、

自分は「ブサイクで良い事が無い!」

って思っている人は是非観て欲しいです。

僕のような、「ブサイクで心も醜い男」でもガンバって心だけでもハンサムになろうと思いました。



マスターの評価。

★★★★☆四つ。




4.「超能力部隊」

超能力部隊

「超能力部隊」

ハインライン作 / 矢野徹 訳・久里洋二 絵


同出版社では挿絵を替えて版を重ねています。

イラストは琴月 綾さん。

超能力部隊 [冒険ファンタジー名作選(第1期)]超能力部隊 [冒険ファンタジー名作選(第1期)]
(2004/10/15)
ロバート・A. ハインライン

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「あらすじ」

FBI秘密捜査官のギリアド大尉こと、ジョウ・グリーンが月世界から運んだ「ノバ爆弾」製法のマイクロフィルム。

追っ手の目を盗み、郵便チューブを使い私書箱へ送る。

敵の仕掛けた罠で牢屋へ。

黒幕のケイスリー夫人は慈善事業で有名な百万長者。

彼女の冷酷な拷問に耐えるジョウ。

先に牢屋にいた「ぶーちゃん」ことボールドウィンと協力して脱出。

FBI本部に行くと、マイクロフィルムは届いていないとのこと。

裏切り者の烙印を押され逃げ出すジョウ。

郵便チューブの話を知っているのは他にボールドウィンのみ。

彼を訪ねていくと、そこは「ふしぎな牧場」だった。

ボールドウィンは、自分はスーパーマンが集まった団体の支配人のようなもので、ジョウにも素質があるので訓練を受け、仲間にならないかと持ちかける。

美しいゲイルたちに指導を受け、自らの力を引き出すジョウ。

真の正義のために今立ち上がる。

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ロバート・アンスン・ハインライン

(Robert Anson Heinlein、1907年7月7日 - 1988年5月8日)

SF界を代表する作家のひとり。

アイザック・アシモフ、アーサー・C・クラークと並んで、世界SF界のビッグスリーとも呼ばれています。

ロマンティックなタイム・トラベル物『夏への扉』は特に人気の高い作品であり、日本でのSFファンのオールタイム・ベスト投票では、度々ベスト1作品になっています。

1907年7月7日ミズーリ州で、ドイツ系の家庭に生まれる。

1925年にアナポリスの海軍兵学校に入学。その後海軍士官になったが病気のために1934年退役。

1939年4月、4日間で書き上げた第一作『生命線』をアスタウンディング誌に送り、デビュー。

1943年、技術士官(航空工学)として海軍に復帰。戦争終結後、1946退役、著述を再開する。

以後『宇宙の戦士』、『ダブル・スター(太陽系帝国の危機)』、『異星の客』、『月は無慈悲な夜の女王』でヒューゴー賞を計4回受賞。

『宇宙の戦士』では軍国主義を賛美する兵士の描写があったことから右翼と呼ばれ、一方の社会主義者の名残が表れている『月は無慈悲な夜の女王』では左翼と呼ばれるなど多彩な顔を持った。

中でも宗教を扱った『異星の客』の反響は大きく、ヒッピーの経典と崇められ、ファンが分かれたという。

『異星の客』中の「グロク」 (grok) という造語がオックスフォード英語辞典に載ったり、終いにはマンソン・ファミリーが実際のカルト活動で『異星の客』中の宗教をまねたりもした。

他のSF作家がSF雑誌に作品を載せるなか、ハインラインは自分の作品を『サタデー・イブニング・ポスト』などの一般紙に載せた。

この結果としてSFの大衆化が進んだのは、ハインラインの功績の一つである。

1988年5月8日肺気腫により死去。遺作は『落日の彼方に向けて』。

『宇宙の戦士』は原題を「Starship Troopers 」といいます。

1997年、アメリカにおいてポール・バーホーベン監督によって実写映画化され、物議を醸しました。

タイトルは原作と同名で、日本におけるタイトルは『スターシップ・トゥルーパーズ』でした。




僕も大好きな映画なのですが、原作では主人公の少年ジュアン・リコ(ジョニー)がフィリピン系(つまり非アングロサクソン系)であり、作品の終盤に彼の母語がタガログ語である、という形でかなり遠回しに明らかにされるのですが、映画はかなり違っていました。

リコの歴史哲学の教師であるジャン・V・デュボア機動歩兵退役中佐の言葉を通して、軍事に貢献することで市民としての権利をえられたかつての都市国家(ポリス)時代のギリシャ、あるいはローマ帝国のような軍国主義的、戦争肯定的な発言を繰り返しています。

「なぜ戦うのか?」「不良を無くすには?」「正義とは?」「勉強とは?」ということが繰り返し問われています。

機会があれば読んでみてください。

宇宙の戦士 (ハヤカワ文庫 SF (230))宇宙の戦士 (ハヤカワ文庫 SF (230))
(1979/09)
ロバート・A・ハインライン矢野 徹

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が、『月は無慈悲な夜の女王』では社会主義者或いはリベラリストの名残も見られます。

他にも『異星の客』のような共産主義的な風刺小説を書いたり、『愛に時間を』で国の為に戦うのは馬鹿げているかのような発言をするなどをしています。

ハインラインは基本的にリバタリアンであるが、大学中退後すぐに軍隊に入隊(後に病気の為除隊)したりした愛国者であったり、一時期は鉱山での労働体験を通して社会主義者になるなど多彩な顔を持ったことが、同一の作者の中にバランスを保ちながら複数の思想が同居していたのでしょう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

矢野 徹(やの てつ)

(1923年10月5日 - 2004年10月13日)

愛媛県松山市生まれ。

兵庫県立第三神戸中学校を経て、中央大学法学部卒。

日本に本格的なSF出版が芽生える前の、海外SFのファン一号といわれ、SFに興味があった晩年の江戸川乱歩に面識を得る。

そのまま、SF翻訳家、SF作家となり、幅広く活躍した。

冒険小説『カムイの剣』は角川書店によりアニメ映画化された。

また、代表作『折紙宇宙船の伝説』は海外でも出版され、高い評価を受けた。

翻訳家としては、R.A.ハインラインの諸作をはじめ、多数の海外SFを翻訳し、日本に紹介。

これらの作品はSFのみならず、日本の文学界全体に大きな影響を与えた。

パソコンゲーム黎明期には『ウィザードリィ日記』を上梓し、RPGの普及に貢献するなどその業績は多岐にわたる。

アマチュアのSFファン活動を大事にする人物としても有名で、年一回開かれる日本SF大会やその他各地で開催された地方コンではほぼ毎回『狂乱酒場』を主催し、ファンと親しく語り合う姿が見られた。

1954年:日本初のSF商業誌『星雲』を創刊。

1号のみで廃刊になる。

1957年:日本最初のSF同人誌『宇宙塵』に筆頭同人として設立当初より参加。

また、渡辺啓助、今日泊亜蘭らとSF同人「おめがクラブ」を設立。同人誌『科学小説』を発行。

1958年:『甘美な謎』を発表。

1963年:日本SF作家クラブの設立に参加。

1978年:日本SF作家クラブ2代目会長就任(~1979年)

1985年:翻訳者としての功績が評価され、WSFよりチャペック賞(カレル賞)を受賞。

1988年:星雲賞受賞(『ウィザードリィ日記』)

2004年:大腸がんのため死去。(享年81)同年、生前の功績を称え、第25回日本SF大賞特別賞に選ばれる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

久里 洋二(くり ようじ )

(1928年 - )

福井県鯖江市出身。文化学院美術科卒業。

1958年 久里実験漫画工房設立。

1960年 柳原良平・真鍋博と「アニメーション三人の会」を結成。草月ホールで定期的に上映会を行う。

1964年 日本テレビ『11PM』、『ひょっこりひょうたん島』などでアニメーション作品を発表。

1970年 大阪万国博覧会リコー館で外壁のアニメーションを担当。

1980年 スイスの美術雑誌「GRAPHIS」の表紙デザインを日本人で初めて製作。

1982年 山梨県立美術館「愛とユーモア 久里洋二世界展」開催。

1985年 ベルギー・ケント市「久里洋二個展」開催。

1986年 ニューヨーク近代美術館特別企画展「ANIMATED FILM BY KURI」。

1988年 パリ市立近代美術館「久里洋二 スペースアート展」。

1994年 池田20世紀美術館「エロスとユーモアの人間図書展」。

1996年 SCOPE誌表紙絵 30年の軌跡「久里洋二の雄大な空想世界展」。

1998年 ドイツ・シュツットガルトで久里洋二アニメ回順展、個展開催。

1998年 「久里洋二60年代グラフィティー特集」。

1999年 「世紀末の日本人1000人の肖像画」。

2000年 「メルヘンとファンタジーの世界」「久里洋二の太陽」「Scope表紙絵原画展」。

2008年 ラピュタ阿佐ヶ谷主催の「アートアニメーションの小さな学校」の講師をつとめる。 

その昔、親の目を盗んで「11PM」などで、氏の短編アニメなどをよく見かけました。

同年代の人なら氏のポップなアニメはよく目にしていると思います。

ビートルズのアニメ映画「イエロー・サブマリン」のパンフレットにも寄稿されていたので、名前はよく知っていました。

今回、氏の「アニメ」ではない「挿絵」は新鮮でした。

物語の面白さもさることながら、この「挿絵」も必見でしょう。

わたしのプログ

久里洋二の部屋

久里洋二の絵物語

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今回の本も非常におもしろかったです。

これもやはり、子供の頃ならラストに「ショック」を覚えたでしょう。

「超能力部隊」となっていますが、別に人が飛んだり、スゴイ力でビルを壊したりというのではありません。

脳の使っていない部分を他人より使っている人たちのことです。

ですから不死身というわけではありません。

やはり、人間の正義の心という部分が大切なのですが、この本に嫌悪感を持つ人も多いと思います。

正義(多くを救うために、少数を犠牲にする)という部分でしょう。

それでも僕は、このダレた国の子供たちに読んでほしい作品だと思います。

超能力部隊 [冒険ファンタジー名作選(第1期)] (冒険ファンタジー名作選)超能力部隊 [冒険ファンタジー名作選(第1期)] (冒険ファンタジー名作選)
(2004/10/15)
ロバート・A. ハインライン琴月 綾

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『放射能』 - Radio-Activity (1975) / クラフトワーク

放射能放射能
(2008/06/11)
クラフトワーク

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1. ガイガー・カウンター (放射能測定器)
2. 放射能
3. ラジオランド
4. エアウェーヴス
5. 中断
6. ニュース
7. エネルギーの声
8. アンテナ
9. ラジオ・スターズ
10. ウラニウム

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

シングル「アウトバーン」のヒットにより一躍脚光を浴びたクラフトワーク。

これによりメジャー・レーベルのキャピトルと契約。

キャピトル第一弾が本作「放射能」となる。

本作はクラフトワーク初のヒュッター、シュナイダーによるセルフプロデュース・アルバム。

ヒュッター/シュナイダー/バルトス/フリューアのラインナップで演奏された初の作品。

日本でのアルバムタイトルは「放射能」となっているが、 原題「Radio-activity」は「ラジオの活動」という意味。

「放射能」の意味だと「Radioactivity」とワンワードのハイフン無しである。

残念ながら「アウトバーン」のようなコマーシャル性が無かったため英米ではチャートインせず。

(その後91年に2曲目の「放射能 」のリミックス版がヒット)

THE MIXTHE MIX
(1998/05/27)
クラフトワーク

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(1998年となっているが、初出は1991年)

前作「アウトバーン」と次作「ヨーロッパ特急」という彼らの代表作の間に挟まれていて影の薄い作品となっているのが惜しい。

非常に彼らのユーモアの散りばめられた作品。

コンセプトに基づいて、音作りは複雑かつアバンギャルド。

それ故ヒットに繋がらなかった。

(このあたりは、ピンクフロイドがアメリカに受け入れられる際の話と酷似しているのではあるが・・・)

逆に言えばアバンギャルドなものを求める人にはお勧めの一枚。

僕個人の意見なら「アウトバーン」よりは本作のほうがヘビーローテでした。





携帯で見る。




続 マッキーの結婚式。

本当は昨日アップしたかったのですが・・・・

携帯のムービーなんですが、

ぱっちわぁくの演奏2曲。






子供たちの演奏と歌。





マッキーの結婚式。

2008年11月2日。

新しい一組の家族が誕生しました。

僕がサラリーマンをしていたころの後輩(新郎)の「マッキー」。

サラリーマン時代は支店が違ったのでデスクを並べることはなかったが、休日出勤などで時々顔を合わせていた。

僕が「CHEER DOWN」をはじめてからの方が行き来が多くなった。

オープン以来時々覗いてくれる。

彼もまた、現在は違う職場で頑張っている。

・・・・・・・・・・・・・・・・

場所は、以前「Dキッド」くんが結婚式を挙げた場所と同じ。

式が始まり花嫁さんの入場。

花嫁入場・・・式にて。

愛を誓う二人。

永久の愛を誓う二人。

上はかつての同僚。下はぱっちわぁくの二人。

式も終わり、披露宴。

僕の席は、かつての部下や後輩、あと「ぱっちわぁく」の二人。

「ぱっちわぁく」の山下くんが左隣っていうのも、以前のDキッドくんの時と同じだなと思っていたら、山下くんのオヤジギャグも同様な感じでした。

「ぱっちほぁく」もお祝いの歌を歌い、心温まるステキな結婚式でした。

上の写真左上の、v(*'-^*)bぶいっ♪ってしてる女の子。

昔から僕を笑わせてくれる女の子で、数々の武勇伝があるのですが、本日も久しぶりに笑わせてくれました。

僕たちのテーブルに挨拶に来た新郎新婦に彼女が放ったクラッカーから飛び出した紙テープは、彼女の隣の男性のケーキに直撃。

もらい泣きしていた彼女は黒い涙を流していた・・・

キャンドルに火を灯す・・披露宴にて。

アーモンド カフェモカ

アーモンド カフェモカ

少し肌寒くなってきました。

街角の自動販売機も、ホットが目立つようになりました。

プールへ行き「冷やし飴」や「ミルクセーキ」以外のモノが良く思える。

(これらもホットはあるのだけど・・・)

で、最近よく飲んでいるのが「アーモンド カフェモカ」。

少し甘く、少し苦い。

運動の後に飲むと「ほっこり」する味である。

「NESCAFE」となっている。

自宅でも飲みたいのだが、メーカーサイトにも無い。


・・・・・・・・・・・・

当然、ここには缶の自販機もあるが、昔から紙コップの自販機が好き。

初めて飲んだ「噴水ジュース」の美味しさの衝撃が忘れられないのだろうか?

噴水ジュース

紙コップを取り、セットして10円を入れる。

当然、当時は瓶の自動販売機でジュースも売っていたが、リーズナブルな「噴水ジュース」が人気あった。

「チェリオ」あたりを懐かしむ世代ではあるが、「チューペット」(駄菓子屋で売ってたビニールのスティック状のジュース。所によっては「貧乏ジュース」ともいったらしい・・)にとって変わるまでは「噴水ジュース」が人気。

瓶の自販機
↑瓶のジュースの自販機。
(お金を入れて瓶を引っ張り取り出す。噂では同時に二本をタイミング良く引っ張れば、二本ともゲット出来ると言われていた)


店のオバちゃんの目を盗んで紙コップをふざけて必要以上に取ったり・・・

(紙コップはオートでセットされるのではない為)

・・・・・・・・・・・・・

このころからの流れか、紙コップの自販機の方が金額が安い。

当然ジュースに関しては内容量が少ないが・・・

あの「噴水ジュース」の衝撃を求めてなのか、変り種の飲み物のボタンを押してしまうのだろう。







さんりお屋 倉敷店

倉敷の美観地区に「さんりお屋」さんがありました。

お店の表にいた看板娘さんをパチリ。

リンゴ三個分よりは確実に重そう・・・

この記事がアップになる11月1日は彼女と双子の妹さんの「ミミィ」さんのお誕生日。


(一応設定上双子なんだけど、世間では妹の誕生日をあまりいわないなぁ・・)

1974年11月1日生まれ
出身地:ロンドン郊外
身長:りんご5こ分
体重:りんご3こ分
血液型:A型
好きな食べ物:ママの作ったアップルパイ

・・・・・・・・・・・・・・・・・

最近、美観地区もお店が色々と様変わりしています。

久しぶりに散策でもいかがでしょうか?

お誕生日のイベントはあるのかな?

ちょっと覗いてみようかな・・・・

- さんりお屋 倉敷店 ブログ -



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