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SFこども図書館
2008年の九月に、子供のころに大好きで、また読みたかった「黒い宇宙船」に再会し、それならいっそ全シリーズを読もうと決め、ボチボチ書いてきた「SFこども図書館」の感想。
それが完結いたしました。
計26作品を一年半かけて読むというスローペースでした。
振り返って、
面白かったお話ベスト5
1位 火星の王女
2位 黒い宇宙船
3位 海底パトロール
4位 合成怪物
5位 宇宙の超高速船
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結構悩みましたが、僕の主観なんで・・・
そのほかの作品も、どれもテイストが違い、名作ぞろいでした。
「合成人間ビルケ」の怪奇性もすてがたかったし「逃げたロボット」は名作に違いありません。
あくまで大人になってしまった僕のオツムでの面白さです。
当然「SFこども図書館」となっていますから、子供が評価すれば違うのでしょう。
僕のしていることは、子供のために作ったアニメを大人のオタクが「あれは無い」とか言って騒いでいるのと同じことなのですが・・
選んだ作品は、自分が「いい大人なのに熱中して読んだ」というのが基準です。
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今の子供たちにも是非読んで欲しい作品でした。
正直、時代なのでしょうか、最近の児童書(数冊しか読んでいませんが・・)のように「ゆるく」は無いです。
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今回僕の読んだ「SFこども図書館」は同出版社から現在は20冊が「冒険ファンタジー名作選」として販売されています。
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またなにか、このようなシリーズがあれば読んでいきたい。
26.「キャプテン・フューチャー」
25.「合成怪物」

R・ジョーンズ作 / 半田倹一 訳・三輪しげる 絵
同出版社では挿絵とタイトルを替えて版を重ねています。
イラストは山田 卓司さん。
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あらすじジョンと妻のマーサは学者だった。
二人を乗せた車は30メートルの崖下に転落。
「うまくいったぞ」
と、上から見つめる三人の人影。
黄色い車に乗り走り去る。
二人は確かに死んだハズだった。
ここは「人工頭脳そうち」を使って、政治など数々の難問を解決し、豊かな暮らしを実現した世の中。
その人工頭脳にくみこむ、科学的訓練をした脳が多く必要だった。
ジョンが目を覚ますとマーサの兄デミング博士がいた。
正確にはジョンはデミング博士がジョンの脳に取り付けてくれた受光板を通して見ている。
人間は死んだらただの死体で、脳は生きていないという政府。
デミング博士は、脳には感情もあり、「人工頭脳そうち」で酷使することに異を唱えるために会議で反対するとのこと。
脳に感情があることは、脳だけになったジョンにも今は判る。
デミング博士は会議に出かけ、帰らぬ人となった。
ジョンは政府の陰謀を暴くため、自分の研究室の技術ロボットを操作して合成神経細胞群塊、略して「ゴセシケ」という怪物を作ります。
これで自分の代わりに外の様子がゴセシケを通して判ります。
しばらくして、マーサの声が飛び込んでくる。
マーサも「人工頭脳そうち」に組み込まれていたのです。
ゴセシケを使って、自分たちを黄色い車を使って殺した政府への復讐が始まる・・・
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感想非常に熱中して読みました。
主人公は脳とアメーバのような一つ目の怪物。
不自由な状況で知恵を使い戦う。
小学生が読むには非常にハードな内容。
しかし、僕はもっと早い時期に読みたかった。
衝撃的なラストを読み終えた後は、しばらく虚脱感に陥りました。
SFというカテゴリーではありますが、一風変わったラブロマンスでもあります。
お勧めの一作。
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レイモンド・F・ジョーンズ(Raymond F. Jones, 1915年11月15日 - 1994年1月24日)
ユタ州生まれ。
ジョン・W・キャンベルに育てられたSF黄金時代作家の1人。
日本語訳された作品。
『星雲からきた少年』福島正実訳、石泉社(銀河書房)、1955年。
『超人集団』矢野徹訳、久保書店QTブックス、1967年。
『地球のさいご』土井耕訳、岩崎書店、1962年。
『合成脳のはんらん』半田倹一訳、岩崎書店、1967年。
『月面基地SOS!』久保田幸子訳、角川書店、1977年。
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1952年の作品"This Island Earth"(未訳)は1955年に同題で映画化された。
これはSF映画の古典の一つとして名高い。映画版は「宇宙水爆戦」のタイトルで日本にも紹介されている。
本作は原題「The Cybernetic Brains (1962)」といいます。
小説家滝本竜彦は、少年時代の読書についてインタビューを受けた際、「一番記憶に残ってる」作品として本作を挙げています。
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半田 倹一1929年東京に生まれる。
明治学院大学英文科卒。
(本書より)
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三輪しげる10.「逃げたロボット」の項を参照。
24.「光る雪の恐怖」
「光る雪の恐怖」ホールデン作 / 内田 庶・井上洋介 絵
同出版社では挿絵を替えて版を重ねています。
イラストは福井 典子さん。
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あらすじケインフィールドの町だけを襲った局地的な吹雪。
新聞記者のデビッドはドワイト編集長の友人でもあるネイサン教授が人口雨の実験をしていたことを知る。
関連を調べるため、ネイサン教授のところへ向かう。
教授の家から出てきたのは教授の娘のカレンだった。
ガンで母親を亡くし、教授の身の回りの世話は彼女がしている。
カレンとの親交も深まる中、次々と起こる怪事件。
生き物が干からびて発見される事件、ついには人がミイラとなって発見される。
教授の研究と事件の関連は?
果たして人々を恐怖に陥れる事件を解決させることは出来るのか?
記者デビッドの奮闘がドキドキの作品。
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感想面白い話でした。
形のハッキリしない怪物の恐怖。
このお話は映画で見たいと思いました。
3Dなんかで見たら面白いかも。
人間の知恵で怪物をやっつけるというストーリーは多いですが、その怪物のアイデアが勝負なのでしょう。
この「光る雪の恐怖」はタイトルからも解るとおり「雪」が怪物なのですが、寒さ、暗さという点において、秀逸な怪物ではないでしょうか。
吹雪の夜を経験された人なら、あのすさまじい風の音が人を襲う怪物の声に聞こえたこともあるでしょう。
作者が「雪」を怪物にしようと思い立つのも自然な話。
このお話に恐怖を感じるのは、この辺の体験の度合いも左右されるでしょう。
南国の人で、吹雪の夜の恐怖を感じたことがない人は、あまり怖さがつたわらないかもしれません。
で、そういう人にも解りやすいよう映画で見たいなぁと思いました。
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リチャード・ホールデンアメリカの作家。
明細不明。
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内田庶(うちだ ちかし、1928年11月6日 - )
本名・宮田昇。
戦後、近代文学社勤務ののち、1952年早川書房編集者。
のち退社し、チャールズ・イー・タトル商会で翻訳エージェントとなる。
その後、独立して矢野浩三郎と「矢野著作権事務所」(のち日本ユニ・エージェンシー)を興す。
ペンネームの内田名義で児童向け作品の執筆、翻訳を多数行った他、本名の宮田名義で翻訳出版史の著作がある。
妻は「SFマガジン」初代編集長の福島正実の妹。
福島が創設した「少年文芸作家クラブ」にも参加。福島の没後に内田の提案により、「少年文芸作家クラブ」と岩崎書店の共催で福島正実記念SF童話賞が創設された。
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井上洋介7.「月世界探検」を参照。
23.「超人の島」
「超人の島」スティープルドン作 / 矢野 徹 訳・水田秀穂 絵
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あらすじトーマス家の一番下の男の子ジョン。
彼は幼いころから変わっていた。
が、頭は良く、スラスラ難しい本を読み、機械をいじるのが好きであった。
彼は色々な発明を秘密基地でこっそり作り、私の名前で発表してくれという。
子供だと信用してもらえないからだ。
彼は自分と同じ仲間を探そうとしていた。
そのためにお金が必要らしい。
ジョンからしてみれば我々は下等な「動物」らしい。
同じ「人間」と暮らしたいらしい。
ジョンは地図に載っていない島を探し、そこに世界中に居る、自分と同じ孤独な重いをしている仲間たちと暮らそうと計画する。
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感想非常に変わったお話でした。
この本はもともと「おかしなジョン(オッド・ジョン)」といい、「私」が伝記としてジョンという少年の一生を書いた形になっています。
特別な能力を持った少年と仲間たちの儚くも短い一生が綴られています。
ひょっとしたら本当の出来事だったのかも?とも思える作品でした。
超人たちは世界制服を目論むわけでもなく、ひっそりと暮らしたかったのです。
その地味さがこの作品の独特な雰囲気を引き出しているのでしょう。
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オラフ・ステープルドン(William Olaf Stapledon, 1886年5月10日 - 1950年9月6日)
イギリスのリヴァプールの南のウィラルで生まれ、6歳までは父親の赴任先であるエジプトのポートサイドで過ごした。
オックスフォード大学のベイリオル・カレッジで近代史を学ぶ。
第一次世界大戦では救急部隊に所属。
1920年にリヴァプール大学で哲学の博士号を取得、その後、英文学、哲学、心理学の講師を務めるなどした。
1919年に従姉妹のアグネスと結婚。
1930年に発表した『最後にして最初の人類』で小説家として認められた。
1948年にはポーランドで開かれた「平和のための世界識者会議」に出席。
同年、英国惑星間協会でアーサー・C・クラークの招待を受け講演した。
1950年9月6日に、冠状動脈閉塞で死去した。
2001年に、第1回コードウェイナー・スミス再発見賞を贈られた。
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矢野 徹「超能力部隊」の項参照。・・・・・・・・・・・・・・・・・・
水田秀穂「星からきた探偵」でも書きましたが、詳細は不明です。
