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22.「海底パトロール」
「海底パトロール」クラーク作 / 福島正実 訳・松永謙一 絵
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あらすじドン・バーレイは海底パトロール員。
海底パトロール員とは、21世紀の人々が科学力を駆使して大西洋や太平洋に作った、くじらの牧場を見回りくじらたちを守るのが海底パトロールである。
海底パトロール隊員は、くじらを襲う凶暴なシャチゃサメと戦い、海底地震ゃ海底火山の爆発に備えたり、遭難した潜水艦を救助したりと、海で活躍する。
そんな海底パトロール隊に、海を憎み、パトロール隊の仕事を軽蔑するウォルターという新隊員が入隊する。
もとは宇宙パイロットのウォルター。
訳ありで海底にやってきた。
なにか秘密がありそうな新隊員を一生懸命ドンは指導しようとした。
そしてある日・・・・・
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感想原作は、長編SF小説『海底牧場』。
面白かった・・・
アーサー・C・クラークだし。
割と近未来の話が多いアーサーの小説。
今回は海が舞台。
特筆するなら、海底牧場の描写がみごと。
ただ、クジラを家畜化するには今の世論と戦わなければいけないだろうが、世界に食糧危機が訪れたならば、このお話は現実になるかもしれない。
当時、将来起こり得る世界の食糧難を考えて、科学的に考えたのが海底牧場なのだろう。
まだ給食にくじらの竜田揚げが出ていた頃に書かれた小説。
年代的に考えれば、原案は短編の『前哨』であると言われている『2001年宇宙の旅』の脚本をスタンリー・キューブリック監督と共同執筆していたころに「海底牧場」はかかれたと思います。
原作はウォルターが主役。
こちらはドンが主役のようである。
うーん、カッチョイイ!
くーーーーっ、燃えるぜ男の友情。
これが映画になっていれば、絶対オイラ泣いちゃうね。
でも、深海の映画といって、変なミニチュア使わないで欲しいけど。
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アーサー・C・クラーク(Sir Arthur Charles Clarke、1917年12月16日 - 2008年3月19日)
1998年にエリザベス女王よりナイトの称号を授与された。
誰でも彼の名を聞けば思い浮かぶ「2001年宇宙の旅」。
最高のSF映画として全世界で高く評価されており、日本の旧文部省が「特選」に指定した唯一のSF映画でもあります。
あまりにも有名な人なので、多くを語りませんが、非常に優れた作品群を残しています。
ロバート・A・ハインライン、アイザック・アシモフと並んでビッグ・スリーと称されるSF界の大御所として活躍しました。
後年はスリランカに住み、ダイビングなどを趣味にした。
晩年まで小説を執筆した。
2008年3月19日午前1時30分
自宅にて心肺機能不全のため90歳で死去。
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福島正実「27世紀の発明王」の項参照。・・・・・・・・・・・・
松永謙一本シリーズの
「宇宙の超高速船」でも挿絵をされていますが、氏にかんしては明細が不明です。
21.「ついらくした月」
「ついらくした月」シェリフ作 / 白木 茂 訳・長 新太 絵
同出版社では挿絵を替えて版を重ねています。
現在の挿絵は竹本 泉さん。
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あらすじ月が地球に墜落、大西洋は陸地になり、洪水が巻き起こる。
かろうじて生き残った人々は平和な世界を築こうとする。
が、大西洋に落ちて、新しい大陸となった月には大切な資源がたくさんあった。
資源を求めて始まった戦争。
大異変をテーマに、性懲りもない人間の愚かさを風刺した作品。
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感想原題は「ホプキンスの手記」といいます。
科学的理論にこだわったSFではありません。
今まで読んだこのシリーズ中、一番風刺の効いた本でした。
1939年の第二次大戦直前に出版された本。
第一次大戦に出兵し、戦争の愚かさを体験した作者が再度戦争が起こりそうなムードの中、
「人間よ!もっとふかくかんがえてくれ」
とメッセージを込めて初のSF小説を書きました。
原作はもっと長編です。
読後はややブルーになりました。
時代もあり、テーマは月の墜落としていますが、別に切っ掛けはなんでもよいのですが。
こういうテーマですので、僕の感想を書くと、どうしても思想的なものが出てしまいますので省きます。
ただ言えるのは、こういうテーマはこれから先も問われ続けるということです。
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ロバート・C・シェリフR・C・シェリフ(R. C. Sheriff)ことロバート・セドリック・シェリフ
(Robert Cedric Sherriff、1896年6月6日 - 1975年11月13日)
シェリフはミドルセックス州ハンプトン・ウィック(Hampton Wick)で生まれた。
父は保険会社員ハーバート・ハンキン(Hankin)・シェリフ。
母の名はコンスタンスと言った。
彼は夫婦の唯一の子供であった。
キングストン・グラマー・スクールで教育を受け、1914年、ロンドンのSun Insurance Companyという保険会社に就職。
はじめ内勤社員として、1918年から28年にかけては保険調査員として働いた。
第一次世界大戦では陸軍大尉として第9東サリー連隊に所属し、フランス北部のヴィミー(Vimy)やロス=アン=ゴエル(Loos-en-Gohelle)で戦った。
1917年にパッシェンデールの戦いで重症を負った。戦功十字章を受ける。
1931年から34年にかけてはオックスフォード大学ニュー・カレッジに通う。
王立文学協会(Royal Society of Literature)およびロンドン考古協会(Society of Antiquaries of London)会員。
戯曲家、脚本家(『チップス先生さようなら』etc)、小説家として活躍のシェリフ。
H・G・ウェルズの影響を受けた唯一のSF。
月との衝突によって荒廃した地球の姿が描かれ、荒れ果てたイングランドを、平凡な男の目を通し、抑制の効いた筆致で写実的に描写したその手腕は、ジョン・ウィンダムやブライアン・W・オールディスといった後世の作家たちに影響を与えたと言われています。
SF作家という呼名はあてはまらない作家さんでしょう。
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白木 茂 (しらき しげる、1910年2月19日 - 1977年8月5日)
青森県生まれ。
日本大学英文科卒業。
英米児童文学の紹介で数多くの翻訳、編著を刊行、日本児童文芸家協会常任理事、国際アンデルセン賞国内選考委員などを歴任。
『児童文学辞典』(共編、東京堂出版 1970)がある。
本シリーズの一巻「
宇宙少年ケムロ」も氏の翻訳むでしたが、前回は紹介できなかったので改めて・・
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長 新太「
深海の宇宙生物」の項参照。
20.「恐竜一億年」
「恐竜一億年」マースティン 作 / 福島正実 訳・田名網敬一 絵
同出版社では挿絵を替えて版を重ねています。
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あらすじマイクとデニス、二人の少年と少女は時間旅行研究所に勤めるマイクの兄に頼み、助手として白亜紀への時間旅行へ同行させてもらう。
一緒に旅することになった有名な猛獣狩りのダーク・マスタースンとその一行。
なにやら画策しているようである。
白亜紀で起こる恐竜との死闘、マスタースンの陰謀、悲しい別れ。
マイクの奮闘。
彼らは無事に帰ってくるのであろうか?
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感想やや突っ込みどころの多いお話。
恐竜の学説も当時のものんのでいたしかたないところはある。
が、作者のいいたいのはそんなことではなく、冒険を通して成長する少年のお話。
子どものころに読めば、もっとマイク少年の冒険にドキドキできたろう。
男の子に読んで欲しい一冊。
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マースティン別名エド・マクベインといったほうが有名だろう。
(Ed McBain、1926年10月15日 - 2005年7月6日)
ニューヨークのイースト・ハーレムに、イタリア系アメリカ人として生まれる。
生まれたときの名前はサルヴァトーレ・ロンビーノだった。
若い頃は画家を志し、奨学金を得て1943年に美術系の学校クーパーズ・ユニオンに進学。
だが、自身の才能のなさに気がつき、1944年に海軍に入隊。
太平洋戦争終結後は、日本にも滞在した。
兵役の間に読書に目覚め、自身でも小説を書いて雑誌に投稿し始める。
1946年、ハンター・カレッジ・ブロンクス校に入学し、創作を学ぶ。
1950年に卒業し、9月にブロンクス職業訓練校の教師となったが、12月に退職。
作家のエージェント会社で働きながら、リチャード・マーステン、カート・キャノン、ハント・コリンズ、エズラ・ハウン等のペンネームでパルプ雑誌に短編を発表。
1953年にはエージェント会社から独立。
1954年には、職業訓練校時代の経験をもとに、エヴァン・ハンター名義で『暴力教室』を発表。
この作品は翌年には映画化もされ、一躍人気作家に。
この際に、本名も「エヴァン・ハンター」に変えた。
1951年には、エド・マクベイン名義で「87分署シリーズ」の第1作、『警官嫌い』を発表。
「警察小説」というジャンルの始祖となる。
なお、当初は「マクベイン=ハンター」であることを隠しており、マクベイン名義の著書の「著者写真」は、その顔をはっきり映さないものであった。
第10作『キングの身代金』は、黒澤明監督によって映画化され映画『天国と地獄』となった。
『クレアが死んでいる』は市川崑監督の『幸福』の原作である。
マクベインは生涯、「87分署シリーズ」を書き続け、第56作『最後の旋律』(2004年)が遺作となった。
2005年7月6日、喉頭ガンのため死亡。
その他の作品に、カート・キャノン名義で発表した、同名の酔いどれ探偵が登場するシリーズ2冊。
童話・童謡をモチーフとし、家庭内の悲劇に対面する弁護士を描く「ホープ弁護士シリーズ」13冊などがある。
なお、1958年にはクレイグ・ライスの未完の長編『エイプリル・ロビン殺人事件』に補筆して完成させている。
また、エヴァン・ハンター名義では、映画化された作品『逢う時はいつも他人』『去年の夏』等があり、またアルフレッド・ヒッチコック監督の映画『鳥』の脚本も担当している。
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福島 正実2.「27世紀の発明王」の項参照。
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田名網敬一5.「地底探検」の項参照。
19.「宇宙パイロット」
「宇宙パイロット」グレーウィッチ作 / 袋 一平 訳・山下勇三 絵
同出版社ではタイトルと挿絵を替えて版を重ねています。
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あらすじパーブリクのひいおじいさんは誰でも知っている有名な宇宙パイロットだった。
今は郊外でひっそりと暮らしている。
肺の弱かったパーブリクを心配して医者の母はモスクワを離れおじいさんの家へパーブリクと引っ越す。
おじいさんは色々な機械を作ったり、パーブリクに昔の冒険を話してくれた。
ある日ラディー・ブロヒンという男がおじいさんを尋ねてくる。
自分の計画をおじいさんに話すが、どれも現実味が無いものばかりだった。
それでもしつこく通い、自分の考えをおじいさんに聴いてもらう。
家族の一員のようになっていた。
あるプロヒンの考えにおじいさんは興味を持つ。
いまだに発言力のあるおじいさんに計画は動いた。
新しい星を見つけるためおじいさん達は旅立った。
29年の歳月が流れ、一人の男が母を訪ねてきた。
不在を伝えるが、自分を「ハーブリク!」と呼んだ男。
果たして彼の正体は・・・・
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感想昔からガンコおやじの説教映画は好きなほう。
このお話、おじいさんをクリント・イーストウッドあたりが演じればいいなと思って読みました。
ここ数年の若い人のいうSFというものからすれば物足りない部分もあるでしょうが、逆にシンプルなゆえ楽しく読めました。
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ゲオルギー・ヨーシフォヴィッチ・グレーヴィッチ(Georgi Iosifovich Gurevich、1917年4月24日/旧暦4月11日 - 1998年12月18日)
モスクワで建築家の息子として生まれ、自身も建築学を学ぶ。
1939年に赤軍へ入隊。
第二次大戦(独ソ戦)には騎兵・工兵として従軍し、勲章も得ている。
1945年11月に除隊。
1946年にモスクワの大学を卒業し、建築技師となる。
最初の中編小説「ロケット乗り」は、1946年、「知識は力」誌に発表された。
初期にはスポーツ小説も書いたが後にSFに専念するようになった。
1987年にエフレーモフ賞を受賞。
科学教育の分野にも力を入れ、「こども百科事典」の初版刊行に関与したほか、複数の通俗科学書の執筆を手がけた。
SF評論家としては1967年の「ファンタジーの国の地図」で知られる。
1998年、モスクワで没。
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袋 一平1898年東京に生まれる。東京外語大卒。ソビエト関係の訳書、著書が多い。
1971年没
(本データはこの書籍に掲載されていたものです)
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山下勇三(1936年 - 2008年1月31日)
1936年、広島生まれ。
多摩美術大学図案科を卒業。
キユーピーなどの広告デザインのほか、無印良品のイラスト、児童書、エイズ防止ポスターなどを手掛けた。
58、59年毎日広告デザイン賞、68年朝日広告賞、97年講談社出版文化賞さしえ賞など受賞。
著書に「オジサンも考える」話の特集、「バイクは動くか?」、共著に「せきこえのどに六輔」ほか。
2008年1月31日、上部消化管出血のため東京都目黒区の病院で31日死去、71歳。
18.「合成人間ビルケ」
「合成人間ビルケ」ベリヤーエフ作 / 馬上義太郎 訳・井上洋介 絵
同出版社ではタイトルと挿絵を替えて版を重ねています。
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あらすじローランは女医としてケルン教授のもとで働きはじめる。
実験室で見たものは、かつてたびたび講演を聴きにいったこともあるドウエル博士の生きた生首。
病気で死んだと聞かされていたドウエル博士は生首として生きていた。
ケルンはドウエルの助手をしていた。
死人を生き返らせる研究をしていたドウエル博士の研究をすっかり盗み、博士をその研究の成果で生首だけにして、博士の知識を今も利用している。
博士は自分の研究が進むならと、今の姿に甘んじている。
ケルンは博士の首では自分の研究として発表できないので、次なる死体の到着を待っている。
死体は死後一時間以内で損傷のないものでないといけない。
踊り子が喧嘩に巻き込まれ、拳銃の流れ弾で死亡。
彼女の名はビルケ。
最初は生首だけの自分の姿を嘆く。
体をくっつけてくれるよう哀願。
ケルンも、今までドウエルの研究だけではなく、別の胴体をくっつける考えに興奮。
ドウエルの生首からアドバイスを受けながら研究を進める。
そんなとき、列車事故で多くの死体が。
手に入った若い女性の胴体をビルケに。
体が出来たビルケは脱走。
口封じに精神病院に閉じ込められる助手のローラン。
ドウエルの息子アーサーと若い画家のラーレ。
ラーレは酒場で列車事故で行方不明の妹をみかける。
が、かつてモデルもしてもらって見間違うはずのない妹の体なのに、顔がまったくの別人。
アーサーはこれを聞き思い当たることがあった。
かつて父が研究していた死体を蘇らせる研究である。
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感想非常に面白いお話でした。
SFというより怪奇小説。
子供のころに読んでいれば、きっとインパクトが強く、トラウマになっていたかもわかりません。
はじめてベリヤーエフの本を読みましたが、他の作品も読みたいと思いました。
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アレクサンドル・ロマノヴィチ・ベリャーエフ(1884年3月16日/ユリウス暦3月4日 - 1942年1月6日)
ロシア初の専業SF作家であり「ソ連のヴェルヌ」と呼ばれる。
1884年、ロシア西部スモレンスク市に司祭の息子として生まれる。
幼い頃小屋の屋根から飛び降りて背骨を痛めたという伝説があるが、真偽のほどは確かではない。
11歳の時にスモレンスクの神学校に入学卒業。
1903年に法律学校に入学し卒業。
弁護士になる。
1915年末にはスモレンスク新聞の編集長の地位にあったが、突然に脊椎カリエスを発症。
原因は屋根から飛んだ時の負傷だとも、肋膜炎でかかった医者に第八椎骨を傷つけられたことだとも言われる。
1916年からの6年間、首から下の自由をなくして寝たきりであった。1921年までヤルタで療養生活を送る。
1922年に回復してからは民警、幼稚園教師などの職業に就く。
1923年からは妻(1921年にヤルタで出会ったマルガリータという女性)とともにモスクワに上京。
郵政省に勤務する。
1925年に処女作『ドウエル教授の首』が雑誌『探検世界』に採用され、1926年には勤めをやめて専業作家となった。
1928年末にモスクワからレニングラード(現サンクトペテルブルク)に移り、29年夏にはキエフに、31年にはプーシキン市(現在はサンクトペテルブルクの一部)に移った。
1942年、ナチス・ドイツ占領下のプーシキン市で死亡。
その死の原因についても諸説ある。
ナチスはその遺稿を欲するが、それは隣家の屋根裏に隠されていたと言われている。
全身不随の体験を活かして書かれた『ドウエル教授の首』、生物を改造する科学を描いた『両棲人間』(1928)、発明と冒険の連作短編『ワグナー教授シリーズ』など、彼の作品群は一般読者の人気を博した。
しかし当時のソ連の体制においては、批評家から荒唐無稽・非科学的だとされ良い扱いは受けなかった。
生涯健康にも経済状況にも恵まれなかったが、死ぬ間際まで数多くの作品(長編は20ほど、短編は40ほど)を執筆した。
作品の大半は雑誌掲載のみで、単行本としての刊行はなされていない。
また国外のSF作品を数多くロシア語に翻訳し紹介した。
ベリャーエフはその著作に於いてA・ロム(А.Ром)と云うペンネームも使用した。
Wikipediaより。
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馬上義太郎(まがみよしたろう)
1902年東京に生まれる。
東京外語専門学校ロシア語科卒。
ソビエト文学の翻訳、紹介に従事。
あとがきより。
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井上洋介以前紹介の「月世界探検」に同じ。
こちら。