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『CHEER DOWN』はジョージの曲名からです。エリック・クラプトンが音楽担当した映画『リーサルウェポン』シリーズ。そのシリーズの『リーサル・ウェポン2 炎の約束』のエンディング曲でもありました。91年のクラブトンとの来日コンサートでも元気に歌っていたのが今でも忘れられません。実は『CHEER DOWN』という英語は存在しません。ジョージの造語なんです。『がんばって!』と掛け声を掛ける時に『CHEER UP !』と言いますが、ジョージは『無理をしなくていいよ』という意味でこの言葉を作りました。

マスターの独り言

ここは小さなバー、CHEER DOWN。マスターの日記です。

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ロックアイコン唯一の黒人、ジミ・ヘンドリックス。

以前の記事

「続く」と書いておきながら、5年が経過。

ジミヘンの命日である。

ここで言いたいのは、エルビス・プレスリーを祖、まあビートルズからでもいいのだが、「ロック・アイコン」でいまだに絶大な人気を誇るジミ・ヘンドリックス。

彼がクラプトンやジェフ・ベックなどと並び、同時代のギターヒーローと並べて語られる、唯一の黒人であるということを言いたい。

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黒人でありながら白人向けのロックスターとして売り出されたのも異例なことだった。

これは渡英していなければ、黒人差別のまだ続く米国では不可能だったと思います。

白人の若者達にとって神のごときアイドルとなった一方、黒人の公民権運動が隆盛を見せていたアメリカでは、同じ黒人達から「裏切り者」と見なされる面もあった。

そのため、黒人向けの音楽を主体としていたラジオ局などでは、ヘンドリックスの曲は徹底的に無視されました。

さらには黒人運動家とそれをなだめたい白人政治家の両方が、黒人なのに白人に支持されているヘンドリックスの立場を利用したがっていたと言われます。

ヘンドリックス自身はあまり政治的な人間ではなかったという論評が多いものの、暗殺された黒人指導者キング牧師のために寄付を行ったこともあります。

ヘンドリックスは同胞である黒人層に今ひとつ受け入れられないことに悩んでいましたが、マネージメント側はヘンドリックスをあくまでも白人向けロックスターとして売っていく方針だったとされます。

ヘンドリックスと親交のあったギタリストのジョニー・ウィンターは、ヘンドリックスが敬愛する先輩ブルースギタリストのハウリン・ウルフ(黒人)と共演した際、ウルフから「白人と組んで金儲けをしている奴」と罵られたエピソードを明かしている。

ヘンドリックスは、ウルフの言葉に黙って耐えていたという。

ただし、マイルス・デイビスのように存命中からジミを高く評価していた黒人アーティストも同様に存在します。

今日はここまで・・・・(続く)。

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(2013/04/10)
ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス

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ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスが1967年に発表した2作目のスタジオ・アルバム。

前作『アー・ユー・エクスペリエンスト?』に比べてメロディアスな楽曲が増えたという評価がある。

ジミの代表的なバラード「リトル・ウイング」を収録。

その一方で、冒頭の「放送局EXP」や、ギター・ソロでフェイザーを使用した「ボールド・アズ・ラヴ」等、実験的な音作りも行われている。

制作スタッフは、フェイザーを導入するに当たって、この機器を先行して用いていたスモール・フェイセスの楽曲「イチクー・パーク」を参考にしたという話が伝わっている。

ジミは、本作のレコーディング・セッションで、色の名前を言うことで音のイメージを伝えたという。

収録曲は、ライブでも演奏された。

「スパニッシュ・キャッスル・マジック」は、ウッドストック・フェスティバルやワイト島音楽祭等で演奏されている。

「リトル・ウイング」は、1969年2月24日のロイヤル・アルバート・ホール公演、サンフランシスコ・ウィンターランドの録音が残されている。

「明日まで待って」「リトル・ミス・ラヴァー」は、BBCでのライブ音源が残されている。

アルバム完成直後に第1面のマスターテープを紛失したと言われており、一晩で作り直された。


オリジナル版は、モノとステレオの2種が同時発売された。

モノ・ミックス盤は、2000年に米Classic Recordsからヴィニール盤のみで再発売された。

1970年の英国廉価再発盤「Backtrack 11」でステレオの別ミックス版が使われ、欧州・日本盤CD初版に使われたものも同様。

1991年のリマスター再発以降、オリジナル・ステレオ・ミックスが使われている。



Little Wing




If 6 Was 9





テーマ:洋楽 - ジャンル:音楽

ジミ・ヘンドリックス

9月18日。

「ジミヘン」の命日。

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ジミ・ヘンドリックス、1942年11月27日 - 1970年9月18日。

わずか27歳でこの世を去った。

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一般に「三大ギタリスト、エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジ」と言われるが、これは日本で出来た言葉。

ヤードバーズのギタリストの歴代3人のことで、ヤードバーズのレコードが東芝。

ヤードバーズを抜けたベックも東芝がレーベルだったので、当時の東芝の石坂氏が作った言葉である。

当時は勝手にクラプトン時代のヤードバーズの音源、ベック時代の音源、ペイジ時代の音源を合わせて、勝手に編集盤を作り、オビに「三大ギタリスト・・・・」的な言葉を入れたものが売られていた。

ベックのソロアルバムを販売するために、「三大ギタリストの一人、ジェフ・ベックの・・・」と、便利の良い言葉だった。

ジミ・ヘンドリックスが入らないのがおかしいのである。

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ロック・アイコンで唯一黒人であるという、稀有な存在でもある。

偏見の少ないイギリスでデビューしたというのも幸いした要因である。

同じ黒人達から「裏切り者」と見なされる面もあった。

黒人向けの音楽を主体としていたラジオ局などでは、ヘンドリックスの曲は徹底的に無視された。

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1966年7月、アニマルズのベーシストだったチャス・チャンドラーに見いだされ9月に渡英する。

チャンドラーにエリック・クラプトンに会わせてくれる条件を出してのことだった。

ノエル・レディング(ベース)、ミッチ・ミッチェル(ドラムス)と共にジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスを結成。

イギリスに衝撃をもたらした。

後年、ジェフ・ベックやクラプトンは「(ジミを観て)廃業を考えた」と語っている。

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語ればキリが無い、今日はここまで・・・・(続く)。

Hey Joe



Purple Haze


次回、機会があれば「エクスペリエンス」以降の記事を予定。

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