
25日はジョージの77回目の誕生日。
画像はファンクラブページ用に作ってみた。
ここのところ少しずつソロ作品を発表順に聞き直しています。
今の音響システムにしてからはじめて聴くのもあって、
「こんな音入ってた?」
と、思うこともあり楽しい。
思いきってMCカートリッジ使おうかな?

先日テニスに行った帰りにH・Oに立ち寄るとジョージの「クラウド・ナイン」が800円で売ってたので救出。
二枚写ってるのは、右は昔から持っていたやつ。
いくらなんでも800円はかわいそう。
このころはCDとレコード、両方発売していて、レコードの方が枚数少ない。
だから本作もレコードの方が中古でも高い。
で、チェックがてら昨晩聴いてました。
インナーなども完品。
こんなことして増やすから断捨離できないんだよね。

例によって、自分が購入した頃はアップル帯ではありませんが、レーベルには、アップルのサブレーベルの「ザップル」がちゃんと印刷。
ジャケットはジョージのアルバム中唯一彼の描いた絵画。
詳しくは、
こちらA面B面、一曲ずつの二曲。
A:マージー壁の下で
B:超時間、超空間
ジョージが「ただのクズ」とまで言って切り捨てた作品。
ただ、擁護するなら、ザップルなんで実験音楽です。
実験なら成果があるわけで、その成果は「アビーロード」の4曲に活かされますし、このモーグがなければ「アビーロード」は違ったものになっていたことは事実。
「オールシングス・マスト・パス」の「I Remember Jeep」にも使われてます。
トランス、テクノ、ノイズといったジャンルが確立された現在ならもっと受け入れられるでしょう。






あまりシングル盤のジャケットってとりざたされませんが、「FAB」のジャケットは当時の自分には刺激的でした。
「リボルバー」66年のジャケットのジョージと88年頃のジョージ。
リボルバーのジャケットはクラウス・フォアマンデザインですが、このシングルのために、新たにクラウスが88年頃のジョージを書きました。
よく見たら若いジョージは「リボルバー」のジャケットをそのままトリミングしただけで「ER」の文字がそのまま。
曲の内容に合わせ、凝ったジャケットと思います。
当時、このシングルはワーナー、使用した「リボルバー」はEMI。
問題とかも見越してわざと作ったジャケットみたいで、ジョージらしいです。
他のシングルジャケットは、割と人任せ的ですが、このシングルのジャケットはジョージの意志が感じられます。
この、ジョージファンなら見慣れたビデオクリップ。
一緒に歌っている女性、誰か気になりませんか?
僕、当時気になって調べました。
で、時を経て、ジョージの追悼ライブの時に、ジョージの周りの人って、いかにジョージを愛していたかを知ることになるのですが・・
この女性はヴッッキー・ブラウンというシンガーで、ジョージの幼馴染でもあります。
リヴァプール出身のヴィッキー・ブラウンは1940年生まれ。
「愛と人生について」というタイトル名は彼女の遺作となったアルバム名。
アルバムの中の「Lu Le La」でジョージ・ハリスンがスライド・ギターを弾いています。
すでに幻のアルバムとなっています。
「ブラウン」という姓でピンと来た人もいると思いますが・・・
ご主人はジョー・ブラウン。
「コンサート・フォー・ジョージ」でラストにウクレレで「夢で逢えたら」を歌い、感動的にフィナーレを務めた人です。
若き日のジョージが勝手にジョーのギブソンを手にもって写真に納まったというエピソードが楽しい、ジョージには縁のあるかた。
娘さんはサム・ブラウン。
やはり「コンサート・フォー・ジョージ」で、ジョージ生前最後の録音となった「ホース・トゥ・ザ・ウォーター」を歌っていた女性シンガー。
オリジナルの「ホース・トゥ・ザ・ウォーター」のコーラスでも参加しています。
そのいきさつからのライブ出演でした。
一家そろってジョージと仕事しており、ジョージとの絆のあるご家族でした。
ですが、ビッキーは1991年、ジョージ来日の年、乳癌でお亡くなりになりました。
ヴィッキーの遺作を手伝ったジョージ、その頃小さかったサムが時を経てジョージの遺作を手伝い、追悼ライブではジョーとサムがジョージを見送る。
ジョージの人柄のうかがい知れる隠れたエピソード。
ジョージとの深い絆で結ばれた一家の話。
ジョージの魅力の一面としての紹介です。
それらを知った上で「上海サプライズ」をもう一度見ると、この幼なじみの熱い友情に感動します。