「帝王」が亡くなったのは、ジョージ・ハリスンが来日する少し前の1991年9月28日だった。
前年の1990年には東京ドームにて行われたジョン・レノン追悼コンサートに出演し、ビートルズの「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」をカバーした記憶も新しく、ショックでした。
ロック好きの僕でも、帝王「マイルス」の名前ぐらいは知っています。
(何枚か所有してますが、ジャズファンの人からすれば「名前を知っている」ぐらいなもの)
というか、マイルスは2006年に、ブラック・サバス 、ブロンディ、レーナード・スキナード、セックス・ピストルズ (受賞拒否)らと共に「ロックの殿堂」入りをしています。
マイルスは1969年以降、それまでのジャズでは用いられなかった電子楽器を使い、ロックの要素を取り入れていきました。
「オレは世界一のロックバンドだって作れるんだ」
という言葉ものこしています。
マイルス・デイビスはジャズの「帝王」とも言われた偉大なロック・ミュージシャンでもあります。
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今回紹介の作品は「ロック」な時代の「帝王」ではありませんが、僕の好きな「マラソン・セッション」が収録された4部作です。
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マラソンセッション1955年にジョン・コルトレーン(サックス)、レッド・ガーランド(ピアノ)、ポール・チェンバース(ベース)、フィリー・ジョー・ジョーンズ(ドラムス)のメンバーで、第一期クインテットを結成します。
同年、ニューポート・ジャズフェスティバルにおいて、チャーリー・パーカーの追悼のためのオールスター・バンドに参加。
このときの演奏がきっかけとなりコロムビア・レコードと契約してしまいます。
1956年に移籍第一作『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』発表。
その一方で、それまで契約していたプレスティッジとの間に残された契約を済ませるために、アルバム4枚分のレコーディングをたった2日間で行いました。
連続した2日間ではなく、2回のセッションの間には約5ヶ月のブランクがあります。
24曲、すべてワンテイクであったといわれています。
この24曲を収録したものが、上記の4部作です。
コロンビアが「あちらはお蔵入りテープ」とケチを付けて、最新録音を強調して対抗したというのも有名な逸話です。
これから益々マイルスの人気が上がることを予想したプレスティッジは、その録音を年に1枚という超スローペースで徐々に世に送り出した。
まず、『クツキン』を1957年に、次の『リラクシン』を1958年3月に、次の『ワーキン』を1960年2月に、最後の『スティーミン』を1961年9月に出した。
この戦略はハード・バップからモードへと移り変わるマイルスの傑作がコロンビアから出される中、大成功をおさめた。
マイルスだけでなくジョン・コルトレーンを語る場合においてもこの4部作は一つとして外せない大傑作なことは言うまでも無く、マイルスはこの時のレギュラー・クインテットを結成して約1年。
特にジョン・コルトレーンの成長がこの4部作を不動のものとしています。
コルトレーンファンにしても「これを聴かずして何を聴くのか」と言える作品。
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契約をこなすための「やっつけ仕事」のようですが、全てワンテイクというスリリングさが加味され、この時期のマイルスの代表作のようになりました。
世評が高いのは「クッキン」ですが、おそらく10月吹き込みに偏っている編集のせいです。
この録音を聴く楽しみの一つは、コルトレーンの成長を実際の吹き込みで確認できること。
5月と10月のものを注意深く聞き分ければ、彼の精進の成果がよくわかります。
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僕は第一期クインテットを聞きたさに、その昔、二十歳の頃、アナログ(当然、僕が買ったのは33回転。リアルタイムなら78回転)で「クッキン」を購入。
「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」を聞きたさだったのですが・・
当時の帝王の、ワンパターンとも思えるミュートを掛けたペットの音にノックアウト。
以来、お気に入りです。
「リラクシン」も、そのタイトルどおり、気分がリラックスしているときに聴きたいアルバム。
演奏後にビールを要求するコルトレーンの声がいい。
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「一生の間に一音たりとも無駄な音は吹かなかった」
といわれる「帝王」の名盤。
秋の夜にいかがですか?
マイルスの命日にアップしようと思ったのですが、「予約投稿」の順番間違いでした。ごめんなさい。